2013年12月31日火曜日

良いお年をお迎えください

今年ももうすぐ終わりですね。本当に色々な事がありました。
ブログを始めたのもその一つです。
「日々、何か感動を持って暮らして行きたい。楽しい 美しいと思える事を捜して行きたい」という思いで始めたものですが、色々な方々から沢山の事を教えて頂き、知るという楽しさに目覚めました。また 多くの励ましも戴き、頑張って続ける事ができました。
人に伝わるような文章を書くのは本当に大変な事で、いつも言葉選びや組み立てに困ってしまいます。
自分の知っている言葉の貧困さに もどかしさを感じ、知識の少なさに愕然とし…文章を書くこととを業としている方々はすごいなと、改めて感じさせられる日々でした。
何にしても、続ける事は本当に大変。でも、お陰様で充実もしています。
毎日 面白い事を捜そうとすると、普段はきっと何気なく見過ごすであろう事も 気がついて 振り返って 感じる事ができます。興味の対象も増えてきます。
来年はもっと語彙を増やし、短く適格な言葉で表現できるようになりたいな と思います。
今年は皆様に大変お世話になりました。
来年もまた、楽しいこと たくさん捜していきたいと思います。
新年も、どうぞよろしくお願いします。

2013年12月27日金曜日

横浜中華街で ものすごいスープを食す!

現在 京都シリーズ執筆中ですが、ここでちょっぴり異文化交流 ^o^!
あおいみみずく、先日 横浜中華街で「ものすごいスープ」を食しました。
台湾薬膳料理で、その名も「佛跳墻(フォーティャオチャン)」最近の台湾グルメ本では「ぶっ飛びスープ」と言われるものです。
名前の由来は「あまりの美味しそうな香りに修行僧ですらお寺の塀を飛び越えて来る」という詞にあるとされていて、文字通りのぶっ飛びスープ!
陶器の壺に、様々な乾物を主体とする食材を入れ、蒸し上げて作られます。
材料のほとんどが乾物で、フカヒレ、干し貝柱、干し鮑、干し海鼠など 動物性のものが主体で、旨味が半端なく濃縮されています。貴重な食材を使うので、必ずしも決まったレシピがある訳ではないそうで、同じお店で頼んでも、仕入れができた食材によって作るため、日によって具材が違うとか。今回は豚足も入っていて、コラーゲンたっぷり!きっと翌日はお肌ツルツル〜^o^
乾物の戻しなど、下準備に相当 時間がかかりますし、蒸す時間も かなりかかるため、必ず数日前に予約が必要なんだそうです。それがこの写真。
香りをお届けできないのがなんとも残念…


今回伺ったのは「青葉新館 」。本場 台湾料理の老舗で、ピアニストであるお友達の ご主人が懇意にしていらっしゃるお店 という事で、連れて行って頂きました*\(^o^)/*
場所は みなとみらい線 「元町中華街」駅 3番出口より徒歩2分。朝陽門近くで交通も便利です。(あまりにも美味しかったから宣伝しちゃいます^ ^) 
横濱中華街の多くは広東系で、台湾料理の店は ほんの少数。
でも、台湾料理って素材の味がとっても生きていて、薄味で日本人好みの味だと思うんですよね。
このスープの他にも色々と頂いたのですが、どれも皆 優しい味付け。困った事に、味に飽きる事がないので どれだけでも食べれます。また、油が少ない健康的な料理なので、どれだけ食べても胃は膨らみますが もたれないのは驚きです。(あれだけ食べても、次の日、胃の調子は全く良好!スッキリしていたのは本当にびっくりでした。)
あ、鯛のお料理の写真も載せちゃいます!
鯛を蒸してネギをたっぷり乗せ、アツアツのタレをジューっとかけたお料理!
これも予約が必要だそうですが、最高に美味しい!(ボキャブラリーが貧弱なのって、グルメリポートできませんね…(^^;; とほほ…)


あと、切り干し大根入りの玉子焼きと、アサリの豆鼓炒め、空芯菜、腸詰め…
それらは予約無しでも味わえて、味付けは薄くて上品。
ほんと!スープだけではなく、どれも皆 ぶっ飛びの美味しさでした。

さて あおいみみずく、こんなに嬉しい思いをして、幸運を使い果たしてしまうのではないかというのが懸念されておりますが…
このお食事会から遡る事 一時間、横浜中華街の関帝廟で お参りをしたんです。
お参りの方法が面白くって、神様達にお線香を捧げてご挨拶し、最後は「金箔を貼ったお金に見立てた紙」を燃やすというやり方。
一生懸命お参りをして、意気揚々とおみくじを引いたら…
「下 下」…これって「凶…?」(ーー;)ズーン…
いや。きっとここでバランスが取れたんだと思うんです。
私がこうして楽しく過ごせるのも、本当にお陰様。
「いい気にならず、有頂天にならず、感謝して過ごさないといけません。」
と、神様が戒めてくださったんです。
本当に色々な方々にお世話になって 自分が存在しているのに、楽しい事があると すぐに調子に乗ってしまうのが あおいみみずく最大の欠点。肝に銘じて生活します。
でもでも 本当に美味しかった *\(^o^)/* 全てに感謝 感謝です!

2013年12月23日月曜日

竹の寺〜地蔵院

本当は 秘密にしておきたいほど素敵!この近くの民家で生まれた 一休さん も小さい頃 (安国寺に移られた6才頃まで) 過ごされていたという「竹の寺」地蔵院です。
前回UPした西芳寺のすぐ近く。歩いて5分弱の場所に、本当にひっそりと建っています。
ここの周辺には他に「鈴虫寺」と呼ばれる華厳寺があって、そこの わらじを履いたお地蔵様が「どんな願い事でも1つだけ叶えてくださる」と評判らしく、あおいみみずくが通りかかった時にはお寺の門からずっと 若い女の子達の長い行列ができていました。
その行列に尻込みしてしまい、結局「華厳寺」には伺えなかったので、そちらにはまた別の機会にでも行ってみたいなと思うのですが…
何の気なしに伺った地蔵院…本当に素敵でした!
地蔵院は、歌人 藤原家良の別荘跡地に細川頼之が夢窓疎石(夢窓国師)を開山(初代住職)として1367年に建立させました。(実際の開山は宗鏡禅師ですが、師匠の夢窓国師を勧請して第一世とし、宗鏡自身は第二世となったそうです。)
一時栄華を極めたようですが、応仁の乱で沢山あったお堂などを焼失し荒廃。紆余曲折を経て、ようやく1704年頃 寺観が整えられ、現在は再建された本堂と方丈のみが残る 小さな臨済宗の禅寺です。
本尊は伝教大師 最澄の作と伝えられる地蔵菩薩。方丈庭園は作庭者不明ですが「十六羅漢の庭」と呼ばれ、京都市の名勝に指定されていて、楓・五葉松・胡蝶侘助(椿の一種)が緑の杉苔の中に配置されています。
細川家ゆかりの寺院ということで、細川護煕元首相筆の襖絵がありました。細川元首相御自身も、この寺を「京都の隠れ家」と呼び、訪れる事もあるそうです。


何と言っても総門から本堂にかけての竹林が本当に素晴らしい。竹取物語の世界が現実に広がっています。
シンと静まり返った空気の中、方丈までの参道をゆっくりと歩くと 風に吹かれた孟宗竹のさわさわ言う葉の擦れ合う音が聞こえます。微かに鳥の囀る声。時折唸る風の音。
自然の織りなす音楽が聴こえてきます。
目に映るのは空高く伸び上がる竹林。何とも言えない緑の色に混じって樹齢が相当長そうな紅葉が彩を添えます。
静寂の中、何にも邪魔されず 自分自身を見つめる ゆっくりした時間を過ごせる地蔵院。
方丈の庭園に植えられた胡蝶侘助の花が開く頃、もう一度 訪れてみたいな…

2013年12月19日木曜日

苔寺〜西芳寺

さて。糺の森で自然感いっぱいの紅葉を楽しんだら、次は 人の手によってこれまでも これからも丁寧に受け継がれていくであろう苔の寺。
奈良時代、行基が開創したと伝えられ、1339年に夢窓国師によって復興された「西芳寺」をご紹介します。
ここは足利義政が銀閣寺を建てる時に 庭や建物を見本にしたことで有名ですが、もう一つ、「苔寺」としても大変有名で、120種類以上もの苔が境内を覆っています。苔は踏み荒らされると消滅してしまいますし、水分管理など 維持するのがとてもデリケート。また、大勢の観光客が溢れると 周辺の住民の方々の住環境も大変問題!という事で、昭和52年より、ここを拝観するには事前に往復葉書での申し込みが必要となりました。また、拝観料も一人3000円と かなり高額。ただ、そのせいもあってか 私が伺ったのは 紅葉 まさに真っ盛りの11月24日でしたが、広い庭園を30人ほどの人数で 本当にゆっくり 静かに拝観することができました。
拝観時期や人数によって違うのかもしれませんが、あおいみみずくが行った時は、まず 本堂の「堂本印象」作の抽象的な障壁画の前で、ご住職のお話を伺い、全員で般若心経を3回唱え、願い事を 護摩木にしたため 奉納し、その後のお庭見学となりました。
苔の状態としては 梅雨時が最高なのかもしれませんが、紅葉の秋もまだまだ元気で青々してましたし、朝方の雨でしっとり濡れて ツヤツヤ光っていて、紅葉の赤や黄色と苔の緑のコントラストがくっきり。目の覚めるような対比の美しさでした。
あぁ…!それにしても素晴らしい苔!ふかふかのベットのようで、思わず寝転びたい衝動にかられたのですが、そこはぐっと我慢。おとなしく、目力で ふかふか感を味わいながらの約一時間半、本当にゆっくりじっくり、かなり広い庭園を散策できました。(庭園内は自由散策です)


本堂の入り口に石碑があり、そこには"大佛次郎作「帰郷」過去の章"より 一文が刻まれていました。
川端康成の筆によるものだそうです。
〜 "苔寺にて
お互いの祖先の日本人が その時々に築き上げて遺したものを 今の若い人たちがどんな風に見ているのか尋ねたいことである。亡びたものを ただ美的な興味で眺めているのか それとも こう乱雑になった世の中にも 自分たちの生活や血につながりのあるものとして なつかしみ受け取ろうとする心が残っているのか 確かめてみたい " 〜


2013年12月15日日曜日

糺の森 (ただすのもり)

紅葉の京都。
清水寺や嵐山、東福寺と言ったメジャーな場所は大変素晴らしいのですが、やはり人の多さに疲れてしまいそう。また、これまで穴場とされて来た「蓮華寺」や、交通が不便で行きにくい岩倉の「実相院」なども口コミが広まったせいか、今年はかなり混雑していました。
しかし、どこもかしこも混んでいるか…と言われれば…
ガイドブックの紅葉特集ではあまり見かけない、あおいみみずく お気に入り の場所をこっそり紹介しちゃいます。
まず最初のお気に入りは、下鴨神社の境内に広がる「糺の森」
ここは 賀茂川と高野川に挟まれるように広がっていて 下鴨神社へと続く 南北に細長い 平安京以前から保たれている「原生林」の森です。
一般的に神社の境内や参道では常緑針葉樹が使われている事が多く、鬱蒼とさせて神秘的な感じを演出している場合が多いようですが、ここは 珍しく ケヤキやニレなどの落葉広葉樹林が中心の 明るい森です。落葉樹が多いという事で 紅葉も綺麗!…って事は、春の芽吹きの頃もきっと素晴らしいのでしょうね!
平安京が置かれていた時代にはもっとずっと広かったようで、応仁の乱でその70%が焼失したそうですが、現在は東京ドーム約3個分の広さだとか。
森の中には「瀬見の小川」「奈良の小川」「泉川」「御手洗川(下鴨神社敷地内)」という4つの川が流れていて、古くから たくさんの和歌に読まれています。水辺を好む植物も多く、上賀茂神社、下鴨神社の神紋である「双葉葵」も最近は激減しているものの、自生しているようです。
原生林の森という事ですから いわゆる手入れの行き届いた 作られた「庭園」ではありません。目を引くような真っ赤な紅葉があるわけではなく、「構成された美」とはまた違った感じではありますが、様々な種類の落葉樹が織りなす 微妙にトーンの違う赤や黄色、オレンジ、そして様々な種類の緑が自然に絡み合い、派手ではありませんが 心安らぐ 色どりです。
樹齢も数百年の樹木が多いので 背も高く開放感があり、思わず見上げて 深呼吸をしたくなります。
町の真ん中にこのような森を備えている所はなかなかありませんよね。
京都の町の奥深さが垣間見られる一つの場所です。
「ここで和歌などを一首…」と行きたい所ですが、不調法なもので…
鴨長明のものをご紹介します。

石川や瀬見の小川の清ければ 月も流れを尋ねてぞすむ  (新古今和歌集)


ここは街中より幾分 色づきが遅いので、「あ、今年 紅葉見るの ちょっと遅れちゃった…?」
の時分、ちょうど良い感じだと思います*\(^o^)/*

2013年12月11日水曜日

夕焼けの清水寺は修復中

近頃 すっかり寒くなりましたね。あおいみみずくが京都と東京を行き来し出したのは10月の後半でした。その時 京都の街を行き交う人達は まだ半袖の方がチラホラいらっしゃって、日によっては ぼーっとするくらい暖かだったのですが、11月の中頃 急に冷えてきて 紅葉が一斉に始まった…と思ったら、もうすっかり寒くなりました。
京都の秋と言えば紅葉。あおいみみずくは毎日遊び歩いていて 記事をUPするのがすっかり遅れてしまっております。紅葉のシーズンもそろそろ終わりですが、これから撮りためていた写真を整理しつつ、「秋の京都」の写真をUPしていこうと思います。
で、やっぱり京都と言えば 先ずは「清水寺」 
定番ですが やっぱり素晴らしい!
山の斜面という立地を 最大限 活かして建てられていますので、本当に雄大な眺め。人気が凄いのも 頷けます。
ただ やっぱり紅葉の時期、特に週末の混み方は 半端ありません。参道は人で溢れ、前へなかなか進めません。もし どうしても清水寺の紅葉を見たいのならば、どんな事をしても平日に行くべきだと思います。
そしてもうひとつ。大切なのは 夕方行く事です。
清水寺は西を向いているので 朝日が当たりません。開門が6時と早いので、人のいない早朝に行くのも気持ちは良いのですが、舞台周辺は日が翳ってしまっていて 眺めが今ひとつ。特に紅葉の清水寺を見るのならば
「平日 夕日が期待できる晴れた日の 日没前 一時間」
が最高です。波長の長い秋の夕日に照らされた清水寺は、まさに西方浄土からの光を受けているように 真っ赤に染まります。
遠くに京都の街が見下ろせて、赤い日が紅葉をより赤く照らし、まさに燃えたつようです。
あおいみみずくの脳裏には今でもその風景が焼き付いて離れません。


現在は修復の真っ最中。今 私達が目にしている建物は 創建当時の物ではなく、1629年9月10日の大火災によって焼失した後、わずか数年のうちに再建された物だそうですが、それでも築400年。痛みも相当激しいと思われます。これを平成20年より11年かけて順次修復して行く計画だそうで、現在は奥の院と阿弥陀堂が修復中。私達が行った時も鳶の方々が足場を組んでいらっしゃいました。南座のせりに上がっただけでくらっとするあおいみみずく…鳶は憧れ…おお怖…^^;
この後、本堂などの修復に入るようです。

2013年12月7日土曜日

青蓮院の楠

 本当に地面をしっかり掴んでいるような根元。青蓮院の楠です。
ここには 境内の内と外に 合わせて5本の楠があり、どれも巨木で立派。
この写真は 境内の外にあるものです。
「親鸞聖人お手植え」と伝えられているのですが、鑑定によると 13世紀以降に植樹されたという事。でもそうであっても樹齢は800年…?凄すぎです…
根が大地をしっかりと掴み、ゆったりと枝を広げています。根には、青々とした苔が生え、光が当たるとビロードの様に光ります。
どっしりした幹は大風が吹いてもびくともせず、枝葉は風にざわめきます。
あおいみみずくが小学生の頃、校庭の一角にとても立派な楠がありました。小さな小学生達が周りではしゃぎ回っているのを見守っているかの如く、安らぎと安心感を与えてくれる大木でした。今でも変わらずにあの場所にあって、子供達を見守っているのでしょうか…そんな事を考えながら、心静かにお寺を拝観します。


ここ、青蓮院は天台宗の「門跡寺院」です。
「門跡」というのは、門主(住職)が 皇室 或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のことだそうで、三千院・妙法院・青蓮院は「京都の天台宗三門跡」と呼ばれます。
ここの並びには、知恩院、高台寺、清水寺と、大人気寺院が軒を連ね、ひっきりなしに観光バスが通るのですが、この青蓮院は、門跡だから という事でもないのでしょうが、いつ行っても静かでひっそりとしていて、室町時代の相阿弥作と伝えられる 主庭の龍心池の周りも素敵ですし、宸殿の軒下の廊下に腰を掛け、楠を眺めながら思う存分瞑想に耽る事もでき、あおいみみずく大のお気に入りです。
春と秋のシーズンには、江戸時代の天明八年(1788年)の大火によって御所が炎上した時に ここを仮御所として避難なさった「後桜町上皇」が御学問所としてお使いになった という、庭園内の「好文亭」という茶室で、ちゃんと作法に則った お点前による薄茶も楽しめます。因みに好文亭の障壁画十三画は、日本画の大家「上村淳之画伯」による花鳥図で、これを見に遠くからいらっしゃる方も多いとか。
夜の 青い光によるライトアップも素敵な青蓮院門跡。何度でも行きたくなる場所です。

2013年12月3日火曜日

南座舞台見学

前回 京都南座の外面についてUPしたので、今回は内部をご紹介。
まねき上げの日の前々日、あおいみみずくはいつもお腹を空かせた熊と 南座の「秋の特別舞台体験」に参加しました。
この企画は 今年の春に続く 第二回目で、今回は11/8日〜24日までの開催でした。
劇場の内部の 花道、廻り舞台、せりなどを、案内の方の楽しい解説を聞きながら 約30分間体験させて頂けます。
せりには実際に乗って 上がったり下がったりできるのですが、下がった方は良いのですが、上がると…思ったより高く感じ 怖くて目眩が…クラっとしました。こんな所で役者さんは演技するんですね…大変だぁ…
また、舞台上では照明の熱が直接当たるので凄い暑さ。ここで平気な顔して優雅に踊るなんて相当疲れそう。歌舞伎役者は体力勝負ですね。本当に重労働。昼と夜の二回公演なんてあんまりだなあ…若い頃は良くても これでは身体を壊しそう。役者さん達の見えざる苦労をひしひしと感じました。今後は芝居の見方もちょっと変わるかもしれません…(しみじみ)
舞台見学の前後には 劇場内部を自由に見学する事ができて、上げられる前の「まねき」を見たり、効果音を鳴らす道具を使って実際に音を出したり、籠や馬などに乗って写真も撮れます。
ところで、あおいみみずくがこちらに伺った 11/23 は紅葉真っ盛りの土曜日とあって、京都のメインストリートである四条通は物凄い混雑…と言うか、物凄いという言葉では足りないほどの混雑で、「紅葉時期の週末は凄まじいよ〜」とは聞いていましたが、これほどまでとは正直、思っていませんでした。
思うに、これほどまでの混雑を「貴重な体験」として捉えるならば「京都にもう一度来たいな〜」と思うのでしょうが、「お茶を飲む  ご飯を食べる」で長時間待つのは勿論のこと、そこにある青信号を渡るにも2〜3回変わるのを待たなければ辿り着けない程で、これでは「京都は二度とゴメンだわ」と思いかねない…
で、そんな中 この南座舞台体験は貴重でした。
南座の内部は いつもは勿論 お客様で満杯ですが、逆に この日の内部はガラガラ。舞台を体験する「特別体験会」には予約が必要でしたが、内部だけを自由に見学するだけならば 500円の入場料で 人の疎らな南座内部で思いっきり写真が撮れるし、顔見世興行を観劇する時には27000円もする 高額な特別席にも座れます。客席でまったりする事もでき、売店では歌舞伎カレンダーも買えます。
正直、休む所も長時間並ばなければ確保できない激混み京都で、この空間は貴重です。勿論、客席で飲食はできませんが、もしこの企画が今後も続けられるようでしたら  春と秋の混雑時に催される「南座見学」
頭の片隅にでも覚えておいて損は無いと思います!

2013年11月29日金曜日

京都南座 まねき上げ

11月25日月曜日 午前9時から、京都 四条大橋の東詰にある南座で、「まねき上げ」が行われたようです。
まねき上げとは、年末恒例の「顔見世興行」を前に、出演する歌舞伎俳優の名前を書いた板を劇場の正面に掲げる伝統行事の事です。
江戸時代、歌舞伎役者は劇場との1年契約だったそうで、その年の役者をお披露目 するものが”吉例顔見世興行”でした。今は形式的な行事となっていますが、この「まねき上げ」を見ると、京都の人々は年の瀬を感じるそうです。
ちなみに看板は縦約1.8メートル、幅約30センチのヒノキ製。まねきの書体は”勘亭流”と云われ、隙間なく客席が 埋まることを願い 隙間の少ない書体で書かれます。 また、ハネは劇場に多くの人が呼び込まれるようにと、内側に向いています。


また、上がったばかりの板(まねき)に向かって、公演の成功と無事を祈願し、集まった人達と一緒に塩をまく「塩まきの儀」も行われます。聞くところによると、あちこちから容赦なく塩が降って来るので、頭が塩まみれになるとか…
今年のまねきは、南座の顔見世初登場となる 市川猿翁さんの物も含め 61枚。二代目市川猿翁さんん・四代目市川猿之助さん・九代目市川中車さん の3人同時襲名披露は顔見世初ということで、話題を呼んでいます。
あおいみみずくはその日、別の場所で楽しく飛び回っておりましたので、まねきを上げている所を実際には拝見していませんが、昨日までのスッキリしていた南座の顔が 25日の夕方に 前を通りかかると、すっかり華やかな顔になっていました。
参考までに、坂東玉三郎さんの公演に伺った時に撮った いつもの南座の写真が、11/16日にUPした「アマテラス」という記事にありますので、こちらの写真と比べてみてください。まねきが上がって華やかになった様子が こちらです。


随分 豪華になりましたね。
いよいよ年の瀬。顔見世興行に向けて、南座自身にも気合が入って来た様子です。

2013年11月25日月曜日

秋の室内楽コンサート

このところ 京都と東京を行ったり来たりしているので、オンタイムで記事をUPするのがなかなか難しく、時系列的におかしく、後先になりましたが、
11/10に、横浜で行われた「秋の室内楽コンサート」に行きました。
このコンサートは、「富士通アンサンブル同好会」が中心となっていて、もともとは富士通社内の 有志・関係者による クラッシック室内楽演奏会だったようです。2005年までは社内の施設で。その後 社内施設が使えなくなり、現在は 社外のホールで年に2回ほどのペースでコンサートを続けていらっしゃいます。
あおいみみずくは、音大時代の後輩(富士通社員)のピンチヒッターとして2001年あたりにバッハのブランデンブルグ協奏曲第二番 のチェンバロをお手伝いさせて頂いたのがきっかけで、その後 何度か ご一緒させて頂く機会がありました。
あおいみみずく自身もピアノに関しては 沢山の教育を受けて来た自負はありますが、自分の弾く曲の周辺以外は 今ひとつ手薄になっていた感があります。バロックにしても、時代的に言えば バッハ以前のものに関しては、知識もぼちぼちだったかもしれません。
ここで出会った皆さんからは、私の知らなかった音楽の楽しみ方や事柄、また 特にバロック時代の曲を本当に沢山教わりました。音楽について楽しく語る事が出来る方々とも数多く知り合う事ができ、とても感謝しています。
このコンサートも年を追うごとに、ずいぶん厚みが出てきました。
幅広い年代の音楽や 様々なジャンルの音楽も増え、出演者も富士通関連に限らず色々な方々が出演されるようになりました。
今回はそんな「成長するコンサート」を会場で聴く事ができ、とても楽しかったです。
ギターソロに編曲された バッハの「シャコンヌ」や、バロックの名曲 マルチェッロの「オーボエ(今回はリコーダー)協奏曲ニ短調」も聞き応えがありましたし、ピアノソロの方は、リストの小品の他に、中国とフランスの「月の光」をテーマに弾き比べをしてくださいました。フルートの小品や、出演者自身での編曲による カッチーニの「アヴェマリア」 武満徹をジャズ風にアレンジし、自由変奏に突入!といったものあり、完全即興あり…
おもちゃ箱がひっくり返ったように 多彩で 楽しく 飽きなかったです。
お仕事をしながら、年に2回ものコンサートを続けていらっしゃる事には頭が下がる思いですし、音楽を心から愛し、楽しんでいる様子を感じるにつけ、私の生徒達にも 是非 こういった音楽愛を育んでいって欲しいな…生涯、音楽のある生活を送って行ってほしいな…と、改めて感じました。
音楽を愛する方々によって、この会は今後ますます発展して行くのだろうな と思うと、すごく嬉しいです。
ただ、以前には「入れ込み解説」とかいう、そこらの解説書には負けてないような相当突っ込んだ解説がプログラムに付属していて、けっこう熱心に読んだものですが、それがなくなったのは ちょっぴり残念です…(^_^;)


2013年11月20日水曜日

京都 〜私の好きな散歩道

京都の街にしばらく滞在すると、観光の名所ではないのですが、好きな散歩道が増えてきます。
まず最初にお勧めしたいのは、知恩院から東山三条辺りまでの 白川沿い散歩道。
車の抜け道になっているので、その点 少々難ありなのですが、あおいみみずくはこの道をフラフラするのがとても好きです。夕暮れに川沿いのベンチに座って 日が暮れていく様子をじっと観察します。白川の流れる音が心地よく、空が赤くなり 紫色から群青色に変わっていく様は、何度見ても同じ状態ということは無く、全く飽きません。
近くにある 青蓮院も大好き!立派な楠があって 癒されますし、ゆっくりと瞑想に耽ることができます。
ところで この写真。その散歩道の途中、白川にかかっている橋なのですが、ちょっと違和感がありませんか?


…そう。手すりのようなものが無いんです。
白川自体は深い川ではないので 落ちてもまず流されるという事はないでしょうが、一応 河川ではあるので、ここにかかっている「細い、手すりの無い 石造りの一本橋」…心理的にちょっと不安感が…
地元の人は 徒歩では勿論、けっこう凄い勢いで 自転車やバイクに乗って渡っていきます。
私も平均台の練習の為?に、ここに来ると2〜3度 渡ってみちゃいます。
ちょっぴり危険な匂いのするこの橋ですが、手すりが無いのが この場には似合います。
この写真の橋の少し知恩院寄りには、「古川町橋」(通称「阿闍梨橋」)と言われる 同じように手すりのない形の橋が架かっていて、そこも勿論 一般の人も通れます。
阿闍梨橋は、7年間にわたって比叡山の山上山下を礼拝して歩く事を中心とした 天台宗の厳しい修験道である「千日回峰行」を終えた行者が 粟田口の元三大師に報告後、京の町に入るときに最初に渡る橋です。そんなある意味 恐れ多い橋が 当然の様に街中にあって、しかも誰もが皆 通れるという…京都の良さですね。


2013年11月16日土曜日

アマテラス

先月、京都の南座で行われた「アマテラス」という舞台に行って来ました。坂東玉三郎・太鼓芸能集団集団「鼓童」との共演で、玉三郎さんは 鼓童の芸術監督をされています。
「坂東玉三郎」…あおいみみずくが高校生の頃、名古屋 栄の街に貼ってあった玉三郎さんのポスターが それはそれは綺麗で、一度実際に観てみたいと思っていたんですよね。
今回は念願叶い、なんと京都南座で母と共に観劇です。
南座は 東京の歌舞伎座より舞台の奥行きも 客席も狭い感じですが、その分 きっと演者も身近に感じられるでしょうし、アットホームな雰囲気なんだろうな♡と、ワクワクでした。
演目の「アマテラス」は 歌舞伎ではなく、古事記の日本神話「天地創造」「天の岩戸」に基づいた音楽舞台で、2006年に演じられた演目の 7年ぶりとなる再演です。
感想は…玉三郎〜!っていうより、鼓童が頑張った〜!って感じでした。
玉三郎は 天照大御神を演じたのですが、やはりふとした仕草はとても素敵!嬉しい仕草、悲しい仕草、驚いた仕草、好奇心旺盛な姿、可愛らしい、嫋やか、強さ…指先の美しさ、首の傾き、凛とした空気、さすがの存在感でした。もうちょっと見ていたかったのですが…
そうなんです。天照大御神ですので、第一部ではスサノオとの絡みもあり そこそこ出演シーンも多かったのですが、第二部は天の岩戸の中にかなり長い時間、お隠れになっておりまして…。で、鼓童!頑張る!凡ゆる手を使って岩戸を開けようと試みます。打楽器のみで、あれだけの時間を聞かせきるのは大したものです。色々な種類の太鼓が これでもか!とばかりに出て来ます。左右違う音色の出る「締獅子太鼓」という鼓童オリジナルの太鼓を叩く人の手などは、本当に千手観音みたいに見えました。そびえ立つ大太鼓。バチが手から抜けて吹っ飛ぶんではないかとばかりの迫力あるずっしり響く音。これ、大変な事ですよ…凄いエネルギーです。魂込めて叩いて叩いて。元宝塚歌劇団男役スター・愛音羽麗さんが、アメノウズメとして踊ります。で、玉三郎登場!真っ暗の中、光の筋がキラっと入り、いよいよ扉が開くと 客席を含めた場内が突然明るくなり、光の中に玉三郎がオーラいっぱいにすっくと立っている!という演出…(すぐに客席の照明は落とされますが…)
玉三郎、岩戸を出て右へ左へ…踊ってくれるのかしら…?と思っていたら、仕草の余韻を残して退場。その連れなさが良いのでしょうかね…本格的な舞は 歌舞伎でご覧ください…って感じなのかな?
ところで、今回は京都南座での公演という事でだったのか、私の横も後ろも前も 舞妓さん、芸妓さんがいっぱい!20〜30人は来ていらっしゃった感じです。私の席の斜め3列ほど前に 踊りか何かのお師匠さんがいらっしゃったようで、皆さん次々にご挨拶に訪れて。芸妓さん舞妓さんに囲まれての観劇…ちょっとこんな経験珍しいですよね。ただ、私の前に座っていらした芸妓さんの髪型が高くせり上がっていたので、舞台が隠れてしまってとても見難かったです(^^;; ま、珍しい経験をさせて頂いたという事で、良しとしますか…




2013年11月12日火曜日

智積院の狛獅子

京都に修学旅行というと、まずは清水寺。そして 三十三間堂。これが定番でしょうか。せっかく三十三間堂まで行ったら、すぐ近くにある 養源院と智積院に 是非行ってみてください!
「養源院」は、豊臣秀吉の側室「淀殿」が 父 浅井長政の追善供養の為に創建し、一度消失はしましたが、淀殿の妹「お江」の願いにより 伏見城の遺構を移築して再興されたお寺です。
俵屋宗達が描いた「白象」・麒麟ビールのロゴマークのモデルとなったと言われる「 麒麟」の杉戸絵や 有名な血天井など、御住職による説明も歯切れよく面白く、とっても楽しい拝観ができます。
また、真言宗智山派総本山として知られる「智積院」も このすぐ近くにあります。同じ智山派には、「成田山」として知られる千葉県成田市の成田山新勝寺、「川崎大師」の通称で知られる神奈川県川崎市の川崎大師平間寺、東京都八王子市の「高尾山薬王院」などがあり、それらの総本山が、ここ 「智積院」なのです。午前中に伺うと いつも沢山の修行僧の方々が一生懸命 境内のお掃除をしていて、本当に清々しい。「なるほど。掃除も修行の一環だな…」と、いつも感じます。
ここには長谷川等伯の「楓図」と、その息子、長谷川久蔵の「桜図」などの障壁画があり、金箔をふんだんに使った桃山時代の豪華な雅やかさは必見ですよ!
長谷川久蔵25歳の作とされる「桜図」は、力強い桜の大木。絵の具を盛り上げる手法によって 桜の花びら 一枚一枚が 迫力をもって表現されています。花の中から、長谷川等伯の子・久蔵の若さ溢れる感性がこぼれ落ちてくるかのようです。しかし久蔵はこの翌年に亡くなります。等伯は「これから益々…」と 期待をかけていたであろう 息子との突然の別れにとても悲しみ 創作意欲を失いかけましたが、息子の分まで精進しようと自分を奮い立たせます。
そして描き上げた「楓図」。桜図と同じような豪華な雰囲気で、楓の古木が枝を力いっぱい広げています。その下には様々な草花が配置され、息子の死を乗り越えようとする覚悟と 父親としての優しさが感じられる、等伯55歳の時の作品です。
あまり人でごった返すこともなく、心静かにゆっくりと拝観できる「智積院」
そんな素晴らしい名刹の入り口に鎮座まします「狛犬」ならぬ 巨大な「狛獅子」…
それがこれ。「あ・うん」の、「あ」


そして、「うん」…


「真言宗智山派総本山智積院」のはかり知れないこのセンス…
「アホ面(づら)やな〜」
私がそうゆうてるんやあらしません。地元の方がゆうてはるんですわ。
やっぱり私、こおゆうの 好きやわ〜 (^^;;

2013年11月8日金曜日

勝林院一千年紀

少し前の事ですが、西暦2013年 (佛暦2556年) 10月5日~20日までの16日間、京都 大原の三千院・来迎院共催で「声明」を中心とした1000年紀の法要が「魚山 勝林院」本堂にて行われていました。
大原の「勝林院」と言えば、法然上人が 名だたる僧達と議論をして 論破した という「大原問答」が行われた所として ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、声明の根本道場でもあるんですよ。
大原には緩やかに流れる呂川と、ちょっと勢いがある律川という二本の細い川が流れています。これら 二筋の川の名前は、声明の曲調を示す「呂曲」と「律曲」になぞらえられたものだそうですが、この事にも表れているように 大原は 梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)の故郷なんです。
梵唄声明とは 経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽で、その起源は古代インドと言われ、中央アジアを経て中国に伝えられました。そして 仏教伝来とともに日本へも伝えられ、日本の伝統音楽にも多大な影響を及ぼしました。謡曲や長唄も、そして演歌までもが声明にルーツがあるといわれているんです!
「勝林院」は、同じく大原にある「来迎院」と共に大原声明二流を担っていて、声明梵唄修行の僧らが多く集まる寺院です。そして 今年、開創一千年を迎えることを記念し、同寺にゆかりの深い各宗派の僧侶によって声明を中心とした慶讃法要が営まれたという事なのです。
「1000年に一度!本場大原で 本物の仏教音楽が聴ける!」などという凄い話を聞きつけたあおいみみずく。このチャンスを逃してなるものか!と、しょぼ降る雨の20日土曜日、いつもお腹を空かせた熊を道連れに 結願法要に馳せ参じました。
気合を入れすぎて、開始時間より 随分 早く着いてしまったのですが、なんと、先着30人くらいは本堂の中、お坊様達のすぐ背後で聴けるという事!しっかり先着してておりました 熊とみみずく。ほぼ二時間に渡り、雅楽から始まる 古の有難い歌のお経の中に身を置く事ができました。
ところで あおいみみずくは なんと、大学時代「声明」の授業を受けていたんですよ。理由は「先生 (お坊様でしたが…) が優しくて、単位が取り易い」という先輩方からの情報によるもの という…今考えれば なんとも情けない理由…(⌒-⌒; )どんな事を教わったのか、全く記憶がありませんが、授業の冒頭で 必ず般若心経を全員で唱和した事は覚えています。その時は文字通り「馬の耳に念仏」状態ではあったのですが、それによって何故か気持ちが落ち着くような気がした記憶があります。
あの時 受講した記憶も ひょっとしたら私が京都好きになった一端なのかもしれませんし、 このような機会を知る事もでき、一千年紀法要にも立ち会う事が出来たということで…人生 何が役立つかわからないものですね。

2013年11月4日月曜日

建仁寺の生垣

ある日のこと、あおいみみずくは 京都「建仁寺」の境内をふらふら飛び回っておりました。
ここは「禅寺」ですから、いつ行っても清々しい風が通り抜け、祇園という京都随一の歓楽街のど真ん中にありながら、凛とした空気を保っています。
…で 見つけたこのお花。
な〜んだ*\(^o^)/*


答えは「お茶の花」です。
椿みたい…俯いて咲いているところがなんとも可愛らしいです。
でも、お茶の花なんて、街中ではあまり見かけることがありませんし、茶園でも、なるべく咲かせないようにしているらしいです。
というのは、花が咲くと、栄養分がそちらに取られてしまい、来春の芽吹きに影響が出るからとか。
収穫の為には、手塩にかけて 花を咲かせない…ちょっと可哀想。
俵屋宗達の「風神雷神図」があるお寺としても有名な 建仁寺は、平安時代末期の僧「栄西禅師」によって創建されました。
栄西禅師は、留学中の「宋」で熱病にかかったのだそうですが、その時 老僧にお茶を飲ませてもらい 身体が回復したので、これは良い!と、中国から日本に茶種を持ち帰り 栽培を奨励し、それまで貴族・僧侶の上流社会だけに限られていた喫茶の習慣を 一般社会にまで普及させ、その功績から「日本の茶祖」と、呼ばれています。
栄西禅師はまた、「茶は養生の仙薬、延齢の妙術である」という文章で始まる『喫茶養生記』という本を書いて、鎌倉3代将軍・実朝に献呈しています。
お茶はもともとお薬だったんですね。「延齢に妙術」という事。あおいみみずくはちょっぴり茶道を嗜んでおりますが、妙術の効果は如何程なんでしょうか…そう言えば、お茶の先生は長生きの方が多いような…
…と、以上のような事から、栄西禅師建立の建仁寺ではお茶が飲むだけでなく、垣根としても使われているようです。垣根の剪定の折など、ひょっとしたら良い香りが境内に漂うのでしょうか?
建仁寺を拝観し お庭を散策する際は、是非 お茶の垣根にも 注目してみてくださいね。


2013年10月30日水曜日

祈りのチェロ

現在、チェリストのヨーヨー・マ さんが来日されていらっしゃるようですね。
彼は 東日本大震災の直後から「フォー・ザ・ピープル・オブ・ジャパン」と銘打ったプロジェクトを いち早く立ち上げ、世界中にいる友人たちに自ら連絡をとり、
「勇気を失ったり悲しみにくれている人に、悲劇に立ち向かう力を与えよう。日本へ パフォーマンスを届けよう」
と呼びかけてくださいました。
今回 10月29日夜、東京のサントリーホールで行われた演奏会。
そのアンコールで使用されたチェロは、東日本大震災の津波で流された住宅の柱などを使って作られたものだそうです。
チェロの内部には「魂柱」という重要な部分があるのですが、その「魂柱」には、岩手県の陸前高田市の海岸で 津波に流されずに1本だけ残った「奇跡の一本松」が使われているそうです。
ヨーヨー・マさんはそのチェロで「鳥の歌」を演奏し、震災の犠牲者を追悼してくださったということです。
「鳥の歌」は、スペインのチェリスト、パブロ・カザルスが カタルーニャ民謡を編曲したもので、故郷への思いや 平和への祈りが込められた曲です。
私はカザルス自身が、ケネディ大統領の招きにより、ホワイトハウスの舞踏室で演奏したCDを持っています。
カザルスは、スペインがフランコの独裁政権下に入って以降 「二度と故国に帰らない。その政権を承認する国では絶対に演奏会を開かない 」という信条がありましたが、「平和を希求するケネディ大統領の前ならば…」と、ホワイトハウスの招きに応じました。これは その際の録音です。
不朽の名演だと思います。
メンデルスゾーンのピアノ三重奏から始まる(これも本当に素晴らしい!)その演奏会の最後に演奏された「鳥の歌」…
心に深く染み入ります。
晩年のカザルスは、この曲を好んで演奏しました。
1971年の国連で行われた演奏会でも、
「カタロニアの小鳥たちは、青い空に飛び上がると ピース・ピース と言って鳴くのです。」
と、紹介しました。
私はチェロの音が大好きです。チェロの音域は 人の声の音域とちょうど重なると言われていますが、低い音から高い音まで 弦が深く響きます。そして 優しく語りかけられる感じがして、とても癒されます。特に夕暮れ時に静かに聴くチェロの音には魔力があるような気がします。
今回の 「ヨーヨー・マ演奏による鳥の歌」…まさに 祈りのチェロですね。


2013年10月27日日曜日

2つの台風

今年は本当に台風が多いですね。10月だというのに、ほぼ毎週のようにやって来ます。
今頃は前述の昭和記念公園のコスモスの丘がきっと満開の事でしょう。再び倒伏してしまってないか とても心配です。
また、特に今回のものは 2つ いっぺんにやって来たという事で、報道でもかなり注意を呼びかけていました。
「藤原効果」という、耳慣れない言葉も沢山聞きました。これは、1921年に 当時の中央気象台所長だった藤原咲平さんによって提唱された「二つの熱帯低気圧が1000km以内に接近した場合、それが干渉しあって通常とは異なる進路をとる(片一方が吸収されるとか、追いかけるとか、片方がもう一方の周りを回るとか…)といった現象」のようですが、何にせよ、ただでさえ怖いものなのに、2つもいっぺんに来るなんて 考えるだけで恐ろしくなります。
現在では確かに数が多くなった感のある台風ですが、やはり昔もあったのでしょうね。
「台風」という言葉が使われだしたのは、明治の末からだそうです。
昔はどんな名前で呼ばれていたのか、このところ 「言葉」に興味を持ち始めたあおいみみずく 早速調べてみた所、「野分(のわけ・のわき)」と 言われていたことが判りました。
「野分」秋の野を吹き分ける風…台風というものでさえ、雅な言葉を使っていたんですね…
源氏物語の二十ハ巻の題名は「野分」です。
光源氏の息子の夕霧。野分の混乱の最中、風に巻き上げられた御簾などの間から部屋の中が見渡せる…。ひょっとして…と、妻戸の陰から覗いていると、ひときわ美しい紫の上 がそこに。その姿にすっかり心を奪われてしまう…台風も一気にロマンチックな演出の道具となってしまいます。
「野分」を使った俳句も見つけました。
芭蕉野分して 盥に雨を 聞く夜かな     芭蕉
底のない 桶こけ歩行(ありく) 野分哉    蕪村
こちらは「雅」ではなく、野分に伴う色と音と空気に、寂寥感を感じて ぐっときてしまいます…


2013年10月24日木曜日

俵屋相伝

京都に「俵屋」「柊屋」「炭屋」という御三家と呼ばれる宿があります。
今回記事にする「俵屋」は、江戸中期に始まり、石州藩士の定宿にもなったという300年からの歴史を重ねる老舗旅館です。日本の偉人は勿論のこと、外国の方では スピルバーグやヒッチコックなどが宿泊し、最近ではAppleのスティーブジョブズが常宿にしていたとか。
私にはまだまだ分不相応の旅館なのですが、「最高のおもてなし」とか、「一流を知る事こそが大切」などとの評判を聞くと 興味津々です。
そこで 宿泊するにはまだまだ小者のあおいみみずく、この「俵屋相伝」という本を買いました。婦人画報という雑誌で連載していたものをまとめたもののようで、私も何枚かの写真には見覚えがあります。
「相伝」っていう言葉も良いですね。これまで受け継がれしもの。そして、これからも受け継がれしもの…。
それでは中を見てみる事にしましょう…
素敵な写真がたくさん!なんとまあ素晴らしいこだわり!季節感溢れる室礼。選び抜かれた小物達。細部まで手入れのゆき届いた庭に、磨き込まれた床…これは維持するのが大変でしょうねえ…。うちの床も 毎日磨いたらこんなに良い色艶になるのかな…?建物自体も勿論素晴らしいのでしょうが、丁寧に使って、受け継いでゆくというスタイルが本当にひしひしと感じられる写真達です。美的な好奇心が掻き立てられます。この室礼に「美味しい料理と、最高のおもてなし」が加わるんでしょ?お布団も3秒で眠りにつけるって評判です。
聞くところによると「おもてなし」も、これでもか!と押し付けて来るようなものではなく、さりげなく、しかし 行き届き、喜びが後からボディーブローのようにジワジワ効いてくる…らしい。
良いと言われる旅館の中には、慇懃な感じで、こちらが「すみませんが泊まらせて頂きます」的な感覚を持ってしまいそうな宿もあります。でもここは、そういった感覚をもたせないサービスなんですって!あおいみみずくもいつかは経験してみたいなぁ…

2013年10月21日月曜日

いり番茶

南部鉄瓶で美味しいお湯を沸かし、白湯をいただいた後、日本人はやっぱりお茶でしょう!
抹茶と鉄瓶の相性が抜群なのは周知の事。お茶を立てる時のお釜は鉄製ですから、これはもう言わずもがな。
…と いうことで、今回は京都の「いり番茶」のご紹介^ ^私の大好きなお茶です。
いり番茶は「京番茶」とも言われ、京都では大変ポピュラーなものです。
名の通った料亭などでも食後に出されたりして、最後に馴染みのほっこりした味を楽しみます。
初めて この番茶を飲まれた方は たいてい「葉巻臭〜い!」とか、「タバコの匂いがする」とかおっしゃいます。でも実はこれ、カフェインもタンニンも少なくて 赤ちゃんにも病気の方にも良いと言われてる身体に優しいお茶なんですよ!しかも値段まで優しい!タンニンも少ないから鉄瓶にも優しい!そして、2回目にはすっかりトリコになっている〜^o^
でも、赤ちゃんの時にこのお茶の虜になっちゃうと、大人になってあの香りが忘れられないと、ヘビースモーカーになっちゃったりして…冗談です。
このお茶は、煮出すと香りや味が落ちてしまうようで、麦茶のようにグツグツしないで、火を止めてから葉を入れると良いようです。
いり番茶は色々なお店から出ていますが、この写真のものは、東京丸の内の一保堂で求めたものです。
一保堂の本店は京都 寺町通りにあり、大きな茶色い暖簾がゆらゆらしていてレトロな雰囲気抜群!
東京のデパートでも販売はしているようですが、丸の内のお店ではお茶の販売の他に喫茶もやっています。抹茶、玉露、煎茶、番茶、とメニューがあり、お茶の入れ方の簡単なレクチャーもしてくださいますし、お茶に合わせた美味しい京都のお菓子も頂けます。
ゆっくりできるし、お店の人はとっても感じが良いし、あおいみみずくオススメの止まり木です!

2013年10月18日金曜日

今 鉄瓶が大人気!…らしい

急に秋がやって来た!と思ったら 夏に逆戻り…と思ったら、また急に寒くなり…
夏の間に毎日冷たいものを取りすぎて、胃腸も弱っておりますし、何と言っても、この温度差には参ってしまいます。体内がすっかり冷えきってしまっている感じです。今年の流れでは 秋が本当に短く、すぐに冬突入でしょうか。身体の準備が間に合わないですよ…
そんな中、ふと目にした雑誌に「朝 一杯の白湯はオススメで〜す!」と、書いてありました。とにかく朝起きたら内蔵を温めてリラックスさせ、血流を整える作戦のようです。よし。まずはなんでもやってみよう!で、せっかくなので、南部鉄瓶でお湯を沸かす事に。
すると、明らかにお湯の味が違う…うむ。絶対まろやか!これでコーヒーを入れてみたのですが、香がグンとUPします。ただ、ちょっと苦味が増す感じかな?でもコーヒーはその苦さも味の一部。うん。問題無しかな。紅茶はどうでしょうか?鉄分と紅茶のタンニンが結びついてしまって、色が黒くなる気がして…。紅茶って、色も重要ですからね。恐る恐るアッサムティーで試してみたのですが、色については、多少黒ずんではいるようですが、それほどでもなし。香りは微妙に少ないかな?味はむしろコクが出た感じでした。
結論は、色と香りを楽しむストレートティーにはイマイチ。ミルクティーにすれば全然問題なしって感じです。(あくまでもあおいみみずくの個人的な見解)
さてこの鉄瓶、現在、フランスで人気沸騰らしいですよ。もっとも あちらはお洒落なお国柄なので、ピンクや緑、黄色など、カラフルな色の物に人気が集まっているらしいのですが、もちろん素材はれっきとした鉄。また、中国の方々にも大人気で、先日、TVで合羽橋の取材をしていたようですが、この南部鉄瓶、入荷次第、売り切れてしまうほどの人気とか。中国は水事情に難がありそうですしね。
有り難い事に、日本では水についての心配は他の国ほど大変ではありませんが、ちょっと一工夫して、鉄瓶で沸かしたまろやかで美味しい白湯をいただいて 一日をスタートするのも 良いのではないでしょうか^o^
一日の最後、焼酎のお湯割りを作るのにも最高です〜^ ^私はやっぱりこっちかな?

2013年10月15日火曜日

白鳥の歌

先日、たまたま与謝蕪村の句に出会い、ネットで作品を拾っていたところ、もっと知りたくなって、思わず萩原朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」という本を買いました。
その本を読みながら、これまた、たまたまシューベルトの「白鳥の歌」を聴いていたら、その二人の作品の波長が交じりあい、えも言われぬ世界が目の前に広がったような気がして、心が震えました。
シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」は、彼自身が編集したものではなく、友人の出版者 トピアス・ハスリンガー達が、彼の死後、遺作の14曲をまとめて出版したものです。
そして出版する際に、「白鳥は死ぬ間際に、最も美しい声で鳴く」というヨーロッパの伝説に基づいて、「白鳥の歌」と、名付けられました。
が今聴いているのは、フィッシャー=ディースカウの歌、ジェラルド・ムーアのピアノのものです。この素晴らしいCDについての事、それから 与謝蕪村の本の事については、また別の機会に…今回は、「白鳥の歌」という伝説について、書いてみようと思います。
この伝説について、私は プラトンの「パイドン」という本を読むまでは、'白鳥が鳴くのは この世を去る悲しみからだ 'と思っていました。'最後に振り絞った哀しき声が とても美しく聞こえるのだ' と。無意識に、「鳴く」と 「泣く」を混同させてしまっていたようです。「パイドン」には次のように書いてありました。

"白鳥は、死ななければならないと気づくと、それ以前にも歌ってはいたのだが、そのときにはとくに力いっぱい、また極めて美しく歌うのである。それというのも、この鳥は神[アポロン]の召使いなのだが、その神のみもとへまさに立ち去ろうとしていることを、喜ぶからなのである。ところが、人間たちは自分自身が死を恐れているから、白鳥についても嘘をつき、白鳥は死を嘆くあまりその苦痛のために別離の歌をうたうのだ、と言っている。しかし、人々が考えてもみない点は、どんな鳥も、飢えたり、凍えたり、なにかその他の苦痛に苦しむときには、けっして歌わない、ということだ。伝説によれば、苦痛のために嘆きの歌をうたっていると言われている、ナイチンゲールとか燕とか仏法僧でさえ、そうではないのである。僕には、これらの鳥もかの白鳥も苦しみながら歌っているようには見えない。むしろ、僕が思うには、白鳥は神アポロンの召使いであるから予言の力をもち、その力によってハデスの国にある善いことを予知し、まさに死なんとするかの日には、それ以前のいかなる日々にもまして特別に歌い喜ぶのである。"
(「パイドン」プラトン著  岩田靖夫訳  岩波文庫 より引用 )

そう。「鳴く」と思い込んでいましたが、「歌う」なのですね。
シューベルトの曲は、歌曲もピアノ曲も ミサ曲も交響曲も…全て「白鳥の歌」のような気がします。
どれも皆、この世のものとは思えないくらい美しい調べです。
彼の その人生は、素晴らしい才能に見合ったような 順風満帆なものではありませんでした。そして 窮乏の中に、31歳という若さで亡くなりました。
でも 短い人生の中、美しく歌い、そして喜びの中 天に昇って行ったのだと信じたいです。
…秋の夜は、幽玄に遊びます…

2013年10月12日土曜日

すすきのある風景

小さい頃、家の近所を歩くと 簡単に「すすき」を見つける事ができました。
道路脇のすすきも良いのですが、小学校からの帰り道に すすきの野原を歩きたくて、わざわざ道草した思い出もあります。
近頃は、気のせいでしょうか…路地を歩いていても、なかなか すすきに出会いません。
東京だからかな?近所に無いだけなのかな?地方ではどうなんでしょう。
そもそも すすきというのは、雑草なんでしょうか…?
で、困った時のWikipedia!
どれどれ…「かつては "茅(かや)" と呼ばれていた」…って言うことは、茅葺(かやぶき)屋根って、すすきでできてる屋根って事ですか?(ついでに調べてみたら、茅とは、ススキとかチガヤの総称であり、どちらも茅葺屋根に使うのだそうです。)
「現在では利用が少なくなり、手入れされないので、その多くは遷移が進んで雑木林になっている。」…ほぉぉ!やっぱり。すすきを維持するためには、手入れが必要なんですね。
それから なんと「北米では侵略的外来種に指定」ですって!北米では、詫びた感覚なんて あまり理解されないんだろうなぁ〜。月とススキのコラボを楽しむなんて 考えてもみないでしょうねぇ…まあ、生態系上「外来種」というのは例え何であっても歓迎されない物なのかもしれませんが…
また、すすきは万葉の昔から動物の尾に見たてて「尾花」とも呼ばれているそうです。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」の「枯れ尾花」って「枯れすすき」って事なんですね!あおいみみずく、恥ずかしながら、今 初めて知りました。
「狐火の 燃えつくばかり 枯れ尾花」という、与謝蕪村の素敵な句も紹介されていました。
「夜の野原にて風に揺らめく枯尾花の情景を、怪しく燃え盛るこの世のものならぬ狐火にたとえている」そうです。情景が浮かびますねぇ…
それにしても 俳句って素晴らしいですね。リズムを伴った少ない文字数でこそ、背後にとても広い世界が感じられる気がします。日本人の感性って本当に計り知れない…
あ!あと一つ、オマケの情報!
「東京・雑司ヶ谷の鬼子母神では、ススキの穂をミミズクの姿に作った民芸品が有名」
だそうです!これは手に入れるっきゃないですね\(^o^)/


 (補足)

この写真は、すすきと、萩と、おみなえし です。
おみなえしって、漢字で「女郎花」って書くんですね…(^_^;)

2013年10月9日水曜日

パンの上の「場(ば)」 その名はピーナツバター

昨日、ノーベル物理学賞の発表がありましたね。
今回受賞したヒッグスさんの研究を、TVでは「全ての物質に質量を与える神の粒子と呼ばれるヒッグス粒子を発見した」と説明していましたが、うちの いつもお腹を空かせたクマは、
「全ての…バツ!」「物質…バツ!」「神の粒子ぃ〜?バツ!」「そもそも、質量を与えるのがヒッグス粒子っていうのがバツ!粒子が与えるワケじゃない!」
と、いちいち吠えてました。
そうなの〜?全部バツ?それなら そもそもTVってば、 一体 何を伝えたんでしょ…(。-_-。)
素人相手であっても、正確に説明してほしいなぁ…。
「じゃあ、腹ペコ熊なら なんて説明するの?」
と、あおいみみずくが聞いたら、
「ある特定の素粒子は、温度が下がると自由に動けなくなる。その現象を予言したのがヒッグスさん。」
との事でした。随分簡単な説明になっちゃいましたが…。
その後は ほぼ一時間にわたり 訳のわからない事を熱く語っていた熊。最後は「今更ながら おめでとう!ヒッグスさん!」とか言いながら、いも焼酎で勝手に祝杯を上げておりました。
ところで この熊、お酒飲みのくせに 正確に表現すると「いつもお腹を空かせた甘いもの好きの熊」なんです。
私が楽しみにしていた甘いお菓子もアイスクリームも、ふと気づくと消えています。
冷蔵庫の奥に隠していたチョコレートも、ほぼ確実に知らない間に消え失せます。
これを「我が家における、自発的対称性のやぶれ」と言います…(ー ー;)
ま、それはともかく、
「それほど甘いものが好きならば!」ということと「健康に注意」という二つの観点により、我が家の朝ご飯に先月からピーナツバターを導入しました。
ピーナツバターは、不飽和脂肪酸とたんぱく質が豊富だし、今、悪玉だと話題のトランス脂肪酸もフリーです。ま、カロリーは高いですけどね。朝ならいっか…
そしたら、ピーナツバターは甘くない!と、熊はイチゴジャムも同時に塗って食する様になりました。…欧米か…そしてそれらはもちろん巨大!そろそろ一瓶空けそうですね。次、スタンバイしておきます^^;

2013年10月7日月曜日

台風と共にやって来る…

今年は例年より沢山の台風が発生しているようです。
偏頭痛もちのあおいみみずくにとって、台風は天敵なんです。
日本に上陸しなくても、「フィリピン沖で台風発生」なんて事になると、すぐに頭痛が…!
気圧が変動したり(特に低気圧)、気温が妙に上がったりしても、頭痛(。-_-。)
今年は気圧の変動が特に激しく、酷いんですよね。
このタイプの偏頭痛の人は、脳が興奮してもダメなんだそうです。どおりで 演奏会に出演した後、必ず頭痛が起こるワケだ…
昔は良い薬がなかったので、市販の薬を沢山 飲んでました。
効き目はあまり無いのですが、飲まないよりマシという感じで…ほとんど中毒。
思い余って近くの脳神経外科に行ってみたところ、「典型的な偏頭痛」との診断を受けました。
頭痛にも色々な種類があって、ちゃんと診断を受けないと、却って悪化させるような薬を使ってしまう事もあるそうです。偏頭痛と思っても、首から肩にかけての緊張から来る いわゆる「緊張性頭痛」という場合も多く(頭痛持ちの人の約90%は この頭痛)、その場合は、温めたり 体操したりして 首周りの血行を良くする必要があるようですし、私のようなタイプの偏頭痛の人が頂くお薬を使用してはいけないんだそうです。
現在 あおいみみずくはトリプタン系のお薬を頂いており、「頭痛が始まったな…」と思ったら直ちに服用すると、ウソの様に治ってしまいます。このお薬にもっと早く出会っていれば、人生 変わったかなぁ…とは思うのですが、とりあえず 今現在は 本当に楽になりました。昔は痛さのあまり、月に5〜6日は転げ回ってましたから。
やはり、たかが頭痛とは思わずに ちゃんと病院で診てもらい、種類に適した治療を受けるのが大切です。
ところで、このタイプの偏頭痛持ちには悲しい事があるんですよ。
あおいみみずくは、ワインがすごく好きなんですが、飲むと大抵 頭痛が起こるんです。
そしたら病院の先生から
「赤ワインなんて、あなたにとっては最悪な飲み物だよ!」
と、言われてしまいました。赤ワインに多く含まれている、ヒスタミンと ポリフェノールが痛みを誘引するんだそうです。ときに ポリフェノールって、アンチエイジング成分って話題になりましたよねぇ。それが私にとっては文字通りの頭痛の種って事ですか…(ーー;)
あ〜!どうしてくれる〜!

2013年10月5日土曜日

鰯雲

先日までの蒸し暑さがウソのよう。
昼間はまだ暑さを感じますが、湿度が低いのは楽ですね。
朝晩は、めっきり涼しくなりました。
空を見ると、秋の雲。代表的なのは鰯雲でしょうか?
昔から、「鰯雲が現れると、鰯の群れがやって来る」と言われるようですが、この雲は、移動性低気圧や、台風 接近の時などによく現れます。言わば、天候悪化を知らせる雲。
写真は台風22号が発生した9月30日の昭和記念公園で写したものです。
本当はコスモスを写そうと思って出掛けたのですが、残念ながら3分咲き。
先日上陸した台風18号によって、ほとんどなぎ倒されたそうです。コスモスって、背が高くてひょろっとしてますもん。どうしても倒伏しちゃいますよね。でも 公園維持の方々の努力によって、見事に立ち上がっていました。一本一本、丁寧に立て直したそうです。で、現在は 復旧完了!
昭和記念公園のコスモスは 全園内に550万本。全部倒れた訳ではないでしょうが、それにしても気の遠くなるような作業ですね。
こちらでは11月上旬まで色々な種類のコスモスが時期をずらせて開花するそうですが、その様な努力を知ると、なんとかその間 台風が来ないことを祈るばかりです。
鰯雲自体は素敵なんですけどね…

2013年10月2日水曜日

あとがき 〜あおいみみずくによる

「青山の魔宴 〜吟遊詩人による」あおいみみずく、堪能させて頂きました!
日常に潜む、名伏し難い恐怖…
あおいみみずくは、小さな子みみずくの頃 「おやすみなさい フランシス」が最もお気に入りの本でした。その後、小学校にあがるとすぐに 学校の図書館に籠って、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを皮切りに、怪奇・推理・SF その周辺の本を読み耽りました。
高校、大学時代には、「実はこの世は、あの世と確かに絡みあっているんじゃないか?」って気がして、真剣に「オバケ=得体の知れない物」 が怖く、そのクセ興味津々という、おかしな事になりました。
現在は、ちょっぴりツマラナイ大人みみずくになり、様々な恐怖感も薄れて来たのですが、基本的にホラーやラビリンスといったものには、いたく心が惹かれます。
ところであおいみみずく、この秋以降、京都にちょくちょく通う事になりそうです。
もちろん、観光地としての京都も大好きです!でも今回は せっかくなので、魔界としての京都も堪能して来ようかな?と、思います。
私は京都にすごく惹かれるのですが、そこには、以前感じた「この世とあの世が交じりあっているような感覚」を覚えるから、という理由もあります。
伝説の美女、小野小町の祖父にあたる(父という説もある) 小野篁(おのの たかむら)は、京都の六道珍皇寺にある井戸から ちょくちょく地獄に出かけて行き、閻魔大王の横で 裁判を補佐したという伝説があります。
私が かつて六道珍皇寺にうかがった時、そこの住職さんに「頭痛、しませんか?気持ち悪くなってませんか?」と、真顔で聞かれました。そういった身体に感じる異変はなかったのですが、実際にとても不思議な出来事がありました。…この事を書くと、長くなり、後書きになりませんので、また後の機会に回しますが、私もひょっとしたら小野篁の血を引く…ま、引かないですね…^^;
でも、真面目に今回の京都行きは、明るい観光地も楽しみつつ、時には時空の歪みを探して歩いてみようかな?と、思っています。
…という訳で、後書きになってない「あとがき」で跡を濁しましたが、吟遊詩人、ギョーム・サボリネールさん、どうかご無事で!膠質 緑色の 際限なく巨大な ほとんど発音不能な物に出くわさない事を、心の底から祈っております!


(補足)

複数の友人に、「この物語は、あおいみみずくさんが吟遊詩人さんに写真を送って、それを見ながら書いてもらったんでしょ?」と、言われたのですが、違うんですよ。
吟遊詩人さんには、ブログにUPする前には写真を一切お見せしてないんです。
UPした場で 初めて確認して頂いております。
原稿は一気に送られて来たのですが、どういう訳か 私の撮った写真をすでにご存知の様な感じで…みみずくも本当にビックリでした。
(あ、でも 大蛇の様なオブジェに関しては、「ここに現代アートがありますよ!」と、教えて頂きましたが。)
ひょっとして、すでに時空を飛び回る「術」を身につけられているのでしょうかね…(⌒-⌒; )