小さい頃、家の近所を歩くと 簡単に「すすき」を見つける事ができました。
道路脇のすすきも良いのですが、小学校からの帰り道に すすきの野原を歩きたくて、わざわざ道草した思い出もあります。
近頃は、気のせいでしょうか…路地を歩いていても、なかなか すすきに出会いません。
東京だからかな?近所に無いだけなのかな?地方ではどうなんでしょう。
そもそも すすきというのは、雑草なんでしょうか…?
で、困った時のWikipedia!
どれどれ…「かつては "茅(かや)" と呼ばれていた」…って言うことは、茅葺(かやぶき)屋根って、すすきでできてる屋根って事ですか?(ついでに調べてみたら、茅とは、ススキとかチガヤの総称であり、どちらも茅葺屋根に使うのだそうです。)
「現在では利用が少なくなり、手入れされないので、その多くは遷移が進んで雑木林になっている。」…ほぉぉ!やっぱり。すすきを維持するためには、手入れが必要なんですね。
それから なんと「北米では侵略的外来種に指定」ですって!北米では、詫びた感覚なんて あまり理解されないんだろうなぁ〜。月とススキのコラボを楽しむなんて 考えてもみないでしょうねぇ…まあ、生態系上「外来種」というのは例え何であっても歓迎されない物なのかもしれませんが…
また、すすきは万葉の昔から動物の尾に見たてて「尾花」とも呼ばれているそうです。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」の「枯れ尾花」って「枯れすすき」って事なんですね!あおいみみずく、恥ずかしながら、今 初めて知りました。
「狐火の 燃えつくばかり 枯れ尾花」という、与謝蕪村の素敵な句も紹介されていました。
「夜の野原にて風に揺らめく枯尾花の情景を、怪しく燃え盛るこの世のものならぬ狐火にたとえている」そうです。情景が浮かびますねぇ…
それにしても 俳句って素晴らしいですね。リズムを伴った少ない文字数でこそ、背後にとても広い世界が感じられる気がします。日本人の感性って本当に計り知れない…
あ!あと一つ、オマケの情報!
「東京・雑司ヶ谷の鬼子母神では、ススキの穂をミミズクの姿に作った民芸品が有名」
だそうです!これは手に入れるっきゃないですね\(^o^)/
(補足)
この写真は、すすきと、萩と、おみなえし です。
おみなえしって、漢字で「女郎花」って書くんですね…(^_^;)
4 件のコメント:
歳時記ですすきの句を調べてみました。
A. 散る芒寒くなるのが目に見ゆる 小林一茶
B. 夕月の色うつりゆく芒かな 久保田万太郎
ど素人が巨匠の句を批判するのも何ですが
どちらも説明調で、イマイチですね。
芒そのものが秋を体現し過ぎているから
それを言葉で表現するのが困難なのかなあ。
その点、蕪村はすごいですね。
そんな事はどーでもいいのですが、
B.の作者名でハっとしませんでしたか?
久保田万・・・。
秋の七草 萩 尾花 女郎花 素敵に撮れていますね。
すすきは 薄 芒 尾花 露見草(つゆみぐさ)と書くように、その姿も、すまして立っている姿 うなだれている姿 幽霊にたとえられる姿 狐火にたとえられたり と、自在ですね。
尾花の下には
*みちのべの 尾花が下の思い草 今更になぞ ものか思わん(万葉集)
と詠まれた思い草(ナンバンギセル)が咲きます。
ちなみに 憶良が詠んだ秋の七草を思い出してみました。
萩が花 尾花 葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝顔の花(桔梗)
ジョヴァンニさん!久保田万…「萬寿」(^◇^)大好物!
久保田万太郎という名前はこれまで何十回も聞きましたが、気がつきませんでした。私の注意力は本当にオソマツ…皆さんがこちらにコメントくださる度に、「あ!」ばかりです。
ところで、与謝蕪村、今、改めて良いな〜と思いました。
ネットで少し拾ってみたのですが、幽玄で色があって、シューベルトの歌曲みたいです…っていうのは、今たまたまシューベルトの「白鳥の歌」を聴いていたのですが、蕪村の句と共通の震え(振動)を感じました。
「門を出て 故人に逢ひぬ 秋の暮」
という句には、涙が出てきちゃいました。
エーデルワイスさん!露見草…また綺麗な名前ですね。
これからすすきを見たら、露見草って思うようにします。きっとすすきも喜びますね!照れちゃって、ますます頭を垂れるかもしれませんね。
「思い草」これも何て雅な名前でしょう。早速調べてみました。薄い紫のキセルの頭の様な花が、露見草の根元に俯いて咲くのですね。寄生植物という事でドキッとしますが、申し訳ありませんって咲いているんでしょうか…^ ^
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