2015年6月29日月曜日

新緑の小布施にて 1

雨にぬれ、青葉輝く季節になりました。
とは言え、梅雨独特の 何やら湿っぽい複雑な匂いが漂う今日この頃。
気圧が安定しない感じなので、せっかく綺麗な紫陽花が咲いているのを見ても ちょっと不調で生あくびばかり…

☆ 紫陽花を見て生あくびばかりして…^_^;

そんな中、あおいみみずくは 小布施に行ってまいりました。
小布施に行くのは初めてのことだったのですが、長野駅から小布施駅に向かう長野電鉄の車窓には ずっと果樹園が続いていて 本当に長閑。あまり見たことのない景色に癒されたぁ〜^ ^
葡萄 栗 葡萄 栗…時々りんごにあんず…そして、緑のなんて美しいこと…
梅雨らしく、少し雨がぱらついていたのですが、植物の緑は、雨にぬれると一段と明るく映えますね。

☆ 重なりて影さし合うや青楓


小布施は、天保の飢饉で娯楽が制限され、思うように絵の描けなくなって江戸を離れた葛飾北斎がこの地の豪農商 高山鴻山の別棟をアトリエとして長く逗留していた場所ということです。
そんな訳で 街の中心部には立派な北斎記念館があり、版画だけではなく、肉筆画40点あまりが展示されており、版画以上の迫力で迫って来ます。
特に この地で描かれた「龍」「鳳凰」や、「男波」「女波」(上町祭屋台天井画)という 北斎晩年に制作された天井画は、まだまだ 生気漲る 思い溢れる作品で、人間の魂の底力をまざまざと感じさせられました。

☆人魂で行く気散じや夏野原

これは北斎辞世の句です。死んだ後は、人魂にでもなって、夏野原を飛んで回ろうか…といった飄々としたものです。ただ 90歳で亡くなる際の臨終の言葉は

「天我をして五年後の命を保ためしや  真正の画工なるを得べし」
…天があと五年私を生かしてくれれば、私は本物の画工になれただろう…

であったということで、実際 北斎の肉筆画からは、身体は老いても 尚いっそう、上へ上へと向かいたい…という彼の情熱と迫力が伝わってきました。
因みに北斎は画号を色々と変えているようですが、最後の画号は「画狂老人卍」だそうで…^_^;
畏れ多いことですが、ちょっぴり親しみを感じたりして…


さて、小布施と聞いてまず思い出されるのは「栗」
でも、もちろん栗だけではありません。葡萄にりんご、あんずにさくらんぼ!
さくらんぼ狩りにも行きました。

…という訳で次回につづく