2016年3月12日土曜日

初めての落語会

今年は 歌舞伎鑑賞で始まり、その後、初句座・初釜と、日本文化三昧を送っておりましたあおいみみずく。で、歌舞伎では念願だった坂東玉三郎に感激した訳ですが…念願と言えばもう一つ!実は 落語の高座に初めてお邪魔して来たんです!
みみずくは 以前から落語には大変興味を抱いておりました。
なんといっても落語って、道具・音楽・衣装など、舞台装置には ほぼ頼る事のない極めてシンプルな それこそ「身ひとつ」の芸です。あらゆる物・場所を表現するのは 手拭いと扇子だけ。演じ手の話術や仕草のみで聴衆の想像力を掻き立る…まさに究極って言葉がぴったり!考えるだけでうっとりしちゃいます。この「限られた中で聴衆の想像力に委ねる」といった辺りが俳句と通じるところがあり…。あぁ、なんて魅力的(^^)
この度お邪魔した高座。会場は築地にある「鳥由宇」というお料理屋さんの二階でした。
二間続きの和室に設えられた黒い演台。障子のような衝立の前には綺麗な紫色の座布団とマイクが一本のみ…これだけ。なんてかっこいいんだろう…
時は平成28年1月23日。噺家は 真打ち 柳家さん正さん。「さん生ひとり語り」の始まりです。


演目は
  一、道灌(どうかん)
  一、粗忽(そこつ)の使者
  一、紺屋 高尾

三席とも いわゆる「古典落語」というものでしたが、ちっとも古く感じる事はなく、「今」のみみずくにもピンと来るものばかりでした。落語なんてまともに聞くのはこれが正真正銘初めてなのに…なんでだろう…。思い返すと、マクラによって徐々に時を超えた世界に引き込まれたような…。
落語は 「マクラ・本編・オチ」で構成されています。それぞれが独立する事はなく、一席のなかで一連の流れとして 話されます。
マクラでは、噺家さんが挨拶しながら その時々の時事ネタや時節等に触れつつ 観客との呼吸を図ります。また 特に古典の演目には、現代ではほとんど使われなくなった言葉や生活様式などが沢山登場するので、ここで演目について関連した解説や情報などを さりげなく知識としてご説明くださるのです。そして観客はいつの間にか時間を超越して古典の世界に誘われる…。あおいみみずくも知らず知らずに ふわっと江戸時代の人間になっておりました。
「ねえ ちょいと聞いとくれ。あそこん家のご隠居ってば…」
なんて、何だか噂話をしている長屋の奥さん連中の一員になっているよう…
噺の世界がまるで本当に自分の身の回りで実際に起こっているかの如き感覚になりました。
さて、今回の演目。
・「道灌」では、覚えたてのうんちくを語ってちょっと威張ってみたいものの、機会を作ろうにもなかなか上手く作れずに、かえって相手の無邪気な切返しにずっこけるという、あおいみみずくの現実にもかなり頻繁にあるお話(^_^;)
・「粗忽の使者」は、殿様の使者として屋敷を訪れた地武太治部右衛門が、口上を思い出せずに四苦八苦するお話。これは噺としても面白かったのですが、馬の背に後ろ向きに乗ったり回ったり。お尻をペンチで抓られたり。座布団の上だけでの動作に本当に馬が見え、硬くて腫れあがったお尻が見え、ジタバタ感に大笑い。
・「紺屋 高尾」一介の染物職人"久蔵"が、当代きっての売れっ子花魁 "高尾太夫" に一目惚れ。ただ一途に惚れぬいて ついに彼女と…ってお話なのですが、この純愛には思わず泣けました。久蔵の嘘のない人柄、裏切らない一途な想いにも勿論ジーンとしたのですが、太夫とは言っても遊女である高尾の貧しさ故に売られた身の上を思う時、人としての小さな幸せを望む心に不憫を感じ、ハッピーエンドに安堵。ああ!本当に良かった(^^)


それにしても 人って 時代時代それぞれに教育を受け 形作られた部分もありますが、本質って 今も昔も変わらないのかもしれません。そうですよね…あおいみみずくは今、平安時代の短歌の情感に心を動かされ、江戸時代からの俳句の捻り方に共感し、現代の流行歌の歌詞に涙したりしますしね…
落語って古典だし難そう。解らないかも…って思っておりましたが、心配無用でした。
鯱鉾ばって聴く必要もなく、くしゃみしても縮こまらなくてよくって、大声で笑える最高に楽しい名人芸!
この日は高座がはねた後、更に打ち上げもあり、実際にお隣に座ってくださった「さん正師匠」と四方山話も沢山できたというあまりにも贅沢な1日でした。
年明け早々(…って 今はもう3月ですが…(^_^;)なんて楽しいことたくさんなんでしょう*\(^o^)/*