2015年8月25日火曜日

原爆忌

8月も終わりに近づいてきました。
ここのところ、いくらか暑さも和らぎ、朝はちょっとひんやりしてきましたね。終わりがけの芙蓉の花が、ぼうっと白く咲いています。
またまたしばらくご無沙汰しておりました あおいみみずく、8月の中盤、広島、京都、名古屋、浜松と、松尾芭蕉よろしく放浪しておりました。

1945年8月6日 広島にウラン型、8月9日は長崎に プルトニウム型という 種類の違う二つの原子爆弾が投下されました。今日の平和を当たり前のように感じている私達。この二つの日付を知らない人が かなり多いということを、報道番組で知りました。「戦争というのは過去のある時点におきたこと。これからを生きる私達には関係がないこと…」と、戦争の記憶が遠く遠くなって行くというのは、ある意味 本当に幸せなことです。ただ、このところ 急に「戦争」という言葉が頻繁に耳に入るようになり、お腹の辺りがざわざわしています。
そんな今年、2015年8月9日 。あおいみみずくは広島の平和公園と、原爆資料館におりました。
広島に行くのは初めてでした。市街地は、整然としていてとても綺麗。特に平和公園、原爆ドームのあたりは整備が行き届いた とても美しい公園となっていました。
川沿いの遊歩道には日本人のみならず、たくさんの外国からの方々がおられ、70年前、この街が、この川がどんな状態だったのか 想像すらできないほどでした。


広島における原子爆弾の爆心地、原爆ドームの周りでは たくさんの方々が熱心に資料を読んでいらっしゃいました。
欧米の方、それからインドの方が多かったような印象です。
原爆ドームは 何度かTVの映像や、写真で見たことがあります。ただ、やはり現地でそのものを感じると 声も出ない衝撃がありました。
経年劣化の影響もあるのでしょうが、崩れ果てたコンクリートの塊があちこちに…煉瓦は朽ち落ちています。当時最先端の頑丈な建物であったと推測される鉄筋の骨組みは ひしゃげています。
1945年。その日の空も青かったと聞いています。今年も雲のほとんどない青空。暑い暑い日光がギラギラ照りつけるなか、立ち尽くしてしまいました。
原爆ドームこそ 当時を伝えていますが、すっかり焼け尽くされ 何もなくなったこの地に、新しい街は作られました。この地で亡くなった数え切れない命の灰の上に…あまりにも悲しく美しく 広島の街が広がっています…


元安橋近くの川縁では、高校生が平和の歌を合唱していました。高校生の若々しく高いトーンの声が風に乗って対岸の私達の耳に届きました。
原爆資料館には本当に沢山の方々がいらっしゃってました。入場者の過半数は外国からの方々のようでした。願わくば、世界中の人達が70年前に何が起こったのかを知ってほしい。そして、人類が人類に対して行った究極の非人道的な行いを 記憶に留めてほしいと、心から思いました。
戦争ということを「そんな史実があった…」とだけ考えて育ってくる事ができた私は、本当に幸せです。
色々考える夏になりました…


8月22日に、金田賢一さんと丸尾めぐみさんのユニット 朗読三昧を聞きに行きました。(ゲストは シンガーソングライター  福山竜一さん)
演目にあった「まっ黒なおべんとう」
朝、お母さんが持たせてくれたお弁当を、食べることなく亡くなった中学生の男の子 折免滋君のお話でした。70年経って未だ食べられることもなく、真っ黒に炭化したお弁当の中身。アルマイトのお弁当箱の鈍い銀色…男の子はそのお弁当をしっかり抱えて白骨になっていたということです。
原爆資料館に展示されていた真っ黒なお弁当は、今後も食べられることなく、私達に核兵器の恐ろしさを伝え続けて行きます。