2013年11月29日金曜日

京都南座 まねき上げ

11月25日月曜日 午前9時から、京都 四条大橋の東詰にある南座で、「まねき上げ」が行われたようです。
まねき上げとは、年末恒例の「顔見世興行」を前に、出演する歌舞伎俳優の名前を書いた板を劇場の正面に掲げる伝統行事の事です。
江戸時代、歌舞伎役者は劇場との1年契約だったそうで、その年の役者をお披露目 するものが”吉例顔見世興行”でした。今は形式的な行事となっていますが、この「まねき上げ」を見ると、京都の人々は年の瀬を感じるそうです。
ちなみに看板は縦約1.8メートル、幅約30センチのヒノキ製。まねきの書体は”勘亭流”と云われ、隙間なく客席が 埋まることを願い 隙間の少ない書体で書かれます。 また、ハネは劇場に多くの人が呼び込まれるようにと、内側に向いています。


また、上がったばかりの板(まねき)に向かって、公演の成功と無事を祈願し、集まった人達と一緒に塩をまく「塩まきの儀」も行われます。聞くところによると、あちこちから容赦なく塩が降って来るので、頭が塩まみれになるとか…
今年のまねきは、南座の顔見世初登場となる 市川猿翁さんの物も含め 61枚。二代目市川猿翁さんん・四代目市川猿之助さん・九代目市川中車さん の3人同時襲名披露は顔見世初ということで、話題を呼んでいます。
あおいみみずくはその日、別の場所で楽しく飛び回っておりましたので、まねきを上げている所を実際には拝見していませんが、昨日までのスッキリしていた南座の顔が 25日の夕方に 前を通りかかると、すっかり華やかな顔になっていました。
参考までに、坂東玉三郎さんの公演に伺った時に撮った いつもの南座の写真が、11/16日にUPした「アマテラス」という記事にありますので、こちらの写真と比べてみてください。まねきが上がって華やかになった様子が こちらです。


随分 豪華になりましたね。
いよいよ年の瀬。顔見世興行に向けて、南座自身にも気合が入って来た様子です。

2013年11月25日月曜日

秋の室内楽コンサート

このところ 京都と東京を行ったり来たりしているので、オンタイムで記事をUPするのがなかなか難しく、時系列的におかしく、後先になりましたが、
11/10に、横浜で行われた「秋の室内楽コンサート」に行きました。
このコンサートは、「富士通アンサンブル同好会」が中心となっていて、もともとは富士通社内の 有志・関係者による クラッシック室内楽演奏会だったようです。2005年までは社内の施設で。その後 社内施設が使えなくなり、現在は 社外のホールで年に2回ほどのペースでコンサートを続けていらっしゃいます。
あおいみみずくは、音大時代の後輩(富士通社員)のピンチヒッターとして2001年あたりにバッハのブランデンブルグ協奏曲第二番 のチェンバロをお手伝いさせて頂いたのがきっかけで、その後 何度か ご一緒させて頂く機会がありました。
あおいみみずく自身もピアノに関しては 沢山の教育を受けて来た自負はありますが、自分の弾く曲の周辺以外は 今ひとつ手薄になっていた感があります。バロックにしても、時代的に言えば バッハ以前のものに関しては、知識もぼちぼちだったかもしれません。
ここで出会った皆さんからは、私の知らなかった音楽の楽しみ方や事柄、また 特にバロック時代の曲を本当に沢山教わりました。音楽について楽しく語る事が出来る方々とも数多く知り合う事ができ、とても感謝しています。
このコンサートも年を追うごとに、ずいぶん厚みが出てきました。
幅広い年代の音楽や 様々なジャンルの音楽も増え、出演者も富士通関連に限らず色々な方々が出演されるようになりました。
今回はそんな「成長するコンサート」を会場で聴く事ができ、とても楽しかったです。
ギターソロに編曲された バッハの「シャコンヌ」や、バロックの名曲 マルチェッロの「オーボエ(今回はリコーダー)協奏曲ニ短調」も聞き応えがありましたし、ピアノソロの方は、リストの小品の他に、中国とフランスの「月の光」をテーマに弾き比べをしてくださいました。フルートの小品や、出演者自身での編曲による カッチーニの「アヴェマリア」 武満徹をジャズ風にアレンジし、自由変奏に突入!といったものあり、完全即興あり…
おもちゃ箱がひっくり返ったように 多彩で 楽しく 飽きなかったです。
お仕事をしながら、年に2回ものコンサートを続けていらっしゃる事には頭が下がる思いですし、音楽を心から愛し、楽しんでいる様子を感じるにつけ、私の生徒達にも 是非 こういった音楽愛を育んでいって欲しいな…生涯、音楽のある生活を送って行ってほしいな…と、改めて感じました。
音楽を愛する方々によって、この会は今後ますます発展して行くのだろうな と思うと、すごく嬉しいです。
ただ、以前には「入れ込み解説」とかいう、そこらの解説書には負けてないような相当突っ込んだ解説がプログラムに付属していて、けっこう熱心に読んだものですが、それがなくなったのは ちょっぴり残念です…(^_^;)


2013年11月20日水曜日

京都 〜私の好きな散歩道

京都の街にしばらく滞在すると、観光の名所ではないのですが、好きな散歩道が増えてきます。
まず最初にお勧めしたいのは、知恩院から東山三条辺りまでの 白川沿い散歩道。
車の抜け道になっているので、その点 少々難ありなのですが、あおいみみずくはこの道をフラフラするのがとても好きです。夕暮れに川沿いのベンチに座って 日が暮れていく様子をじっと観察します。白川の流れる音が心地よく、空が赤くなり 紫色から群青色に変わっていく様は、何度見ても同じ状態ということは無く、全く飽きません。
近くにある 青蓮院も大好き!立派な楠があって 癒されますし、ゆっくりと瞑想に耽ることができます。
ところで この写真。その散歩道の途中、白川にかかっている橋なのですが、ちょっと違和感がありませんか?


…そう。手すりのようなものが無いんです。
白川自体は深い川ではないので 落ちてもまず流されるという事はないでしょうが、一応 河川ではあるので、ここにかかっている「細い、手すりの無い 石造りの一本橋」…心理的にちょっと不安感が…
地元の人は 徒歩では勿論、けっこう凄い勢いで 自転車やバイクに乗って渡っていきます。
私も平均台の練習の為?に、ここに来ると2〜3度 渡ってみちゃいます。
ちょっぴり危険な匂いのするこの橋ですが、手すりが無いのが この場には似合います。
この写真の橋の少し知恩院寄りには、「古川町橋」(通称「阿闍梨橋」)と言われる 同じように手すりのない形の橋が架かっていて、そこも勿論 一般の人も通れます。
阿闍梨橋は、7年間にわたって比叡山の山上山下を礼拝して歩く事を中心とした 天台宗の厳しい修験道である「千日回峰行」を終えた行者が 粟田口の元三大師に報告後、京の町に入るときに最初に渡る橋です。そんなある意味 恐れ多い橋が 当然の様に街中にあって、しかも誰もが皆 通れるという…京都の良さですね。


2013年11月16日土曜日

アマテラス

先月、京都の南座で行われた「アマテラス」という舞台に行って来ました。坂東玉三郎・太鼓芸能集団集団「鼓童」との共演で、玉三郎さんは 鼓童の芸術監督をされています。
「坂東玉三郎」…あおいみみずくが高校生の頃、名古屋 栄の街に貼ってあった玉三郎さんのポスターが それはそれは綺麗で、一度実際に観てみたいと思っていたんですよね。
今回は念願叶い、なんと京都南座で母と共に観劇です。
南座は 東京の歌舞伎座より舞台の奥行きも 客席も狭い感じですが、その分 きっと演者も身近に感じられるでしょうし、アットホームな雰囲気なんだろうな♡と、ワクワクでした。
演目の「アマテラス」は 歌舞伎ではなく、古事記の日本神話「天地創造」「天の岩戸」に基づいた音楽舞台で、2006年に演じられた演目の 7年ぶりとなる再演です。
感想は…玉三郎〜!っていうより、鼓童が頑張った〜!って感じでした。
玉三郎は 天照大御神を演じたのですが、やはりふとした仕草はとても素敵!嬉しい仕草、悲しい仕草、驚いた仕草、好奇心旺盛な姿、可愛らしい、嫋やか、強さ…指先の美しさ、首の傾き、凛とした空気、さすがの存在感でした。もうちょっと見ていたかったのですが…
そうなんです。天照大御神ですので、第一部ではスサノオとの絡みもあり そこそこ出演シーンも多かったのですが、第二部は天の岩戸の中にかなり長い時間、お隠れになっておりまして…。で、鼓童!頑張る!凡ゆる手を使って岩戸を開けようと試みます。打楽器のみで、あれだけの時間を聞かせきるのは大したものです。色々な種類の太鼓が これでもか!とばかりに出て来ます。左右違う音色の出る「締獅子太鼓」という鼓童オリジナルの太鼓を叩く人の手などは、本当に千手観音みたいに見えました。そびえ立つ大太鼓。バチが手から抜けて吹っ飛ぶんではないかとばかりの迫力あるずっしり響く音。これ、大変な事ですよ…凄いエネルギーです。魂込めて叩いて叩いて。元宝塚歌劇団男役スター・愛音羽麗さんが、アメノウズメとして踊ります。で、玉三郎登場!真っ暗の中、光の筋がキラっと入り、いよいよ扉が開くと 客席を含めた場内が突然明るくなり、光の中に玉三郎がオーラいっぱいにすっくと立っている!という演出…(すぐに客席の照明は落とされますが…)
玉三郎、岩戸を出て右へ左へ…踊ってくれるのかしら…?と思っていたら、仕草の余韻を残して退場。その連れなさが良いのでしょうかね…本格的な舞は 歌舞伎でご覧ください…って感じなのかな?
ところで、今回は京都南座での公演という事でだったのか、私の横も後ろも前も 舞妓さん、芸妓さんがいっぱい!20〜30人は来ていらっしゃった感じです。私の席の斜め3列ほど前に 踊りか何かのお師匠さんがいらっしゃったようで、皆さん次々にご挨拶に訪れて。芸妓さん舞妓さんに囲まれての観劇…ちょっとこんな経験珍しいですよね。ただ、私の前に座っていらした芸妓さんの髪型が高くせり上がっていたので、舞台が隠れてしまってとても見難かったです(^^;; ま、珍しい経験をさせて頂いたという事で、良しとしますか…




2013年11月12日火曜日

智積院の狛獅子

京都に修学旅行というと、まずは清水寺。そして 三十三間堂。これが定番でしょうか。せっかく三十三間堂まで行ったら、すぐ近くにある 養源院と智積院に 是非行ってみてください!
「養源院」は、豊臣秀吉の側室「淀殿」が 父 浅井長政の追善供養の為に創建し、一度消失はしましたが、淀殿の妹「お江」の願いにより 伏見城の遺構を移築して再興されたお寺です。
俵屋宗達が描いた「白象」・麒麟ビールのロゴマークのモデルとなったと言われる「 麒麟」の杉戸絵や 有名な血天井など、御住職による説明も歯切れよく面白く、とっても楽しい拝観ができます。
また、真言宗智山派総本山として知られる「智積院」も このすぐ近くにあります。同じ智山派には、「成田山」として知られる千葉県成田市の成田山新勝寺、「川崎大師」の通称で知られる神奈川県川崎市の川崎大師平間寺、東京都八王子市の「高尾山薬王院」などがあり、それらの総本山が、ここ 「智積院」なのです。午前中に伺うと いつも沢山の修行僧の方々が一生懸命 境内のお掃除をしていて、本当に清々しい。「なるほど。掃除も修行の一環だな…」と、いつも感じます。
ここには長谷川等伯の「楓図」と、その息子、長谷川久蔵の「桜図」などの障壁画があり、金箔をふんだんに使った桃山時代の豪華な雅やかさは必見ですよ!
長谷川久蔵25歳の作とされる「桜図」は、力強い桜の大木。絵の具を盛り上げる手法によって 桜の花びら 一枚一枚が 迫力をもって表現されています。花の中から、長谷川等伯の子・久蔵の若さ溢れる感性がこぼれ落ちてくるかのようです。しかし久蔵はこの翌年に亡くなります。等伯は「これから益々…」と 期待をかけていたであろう 息子との突然の別れにとても悲しみ 創作意欲を失いかけましたが、息子の分まで精進しようと自分を奮い立たせます。
そして描き上げた「楓図」。桜図と同じような豪華な雰囲気で、楓の古木が枝を力いっぱい広げています。その下には様々な草花が配置され、息子の死を乗り越えようとする覚悟と 父親としての優しさが感じられる、等伯55歳の時の作品です。
あまり人でごった返すこともなく、心静かにゆっくりと拝観できる「智積院」
そんな素晴らしい名刹の入り口に鎮座まします「狛犬」ならぬ 巨大な「狛獅子」…
それがこれ。「あ・うん」の、「あ」


そして、「うん」…


「真言宗智山派総本山智積院」のはかり知れないこのセンス…
「アホ面(づら)やな〜」
私がそうゆうてるんやあらしません。地元の方がゆうてはるんですわ。
やっぱり私、こおゆうの 好きやわ〜 (^^;;

2013年11月8日金曜日

勝林院一千年紀

少し前の事ですが、西暦2013年 (佛暦2556年) 10月5日~20日までの16日間、京都 大原の三千院・来迎院共催で「声明」を中心とした1000年紀の法要が「魚山 勝林院」本堂にて行われていました。
大原の「勝林院」と言えば、法然上人が 名だたる僧達と議論をして 論破した という「大原問答」が行われた所として ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、声明の根本道場でもあるんですよ。
大原には緩やかに流れる呂川と、ちょっと勢いがある律川という二本の細い川が流れています。これら 二筋の川の名前は、声明の曲調を示す「呂曲」と「律曲」になぞらえられたものだそうですが、この事にも表れているように 大原は 梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)の故郷なんです。
梵唄声明とは 経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽で、その起源は古代インドと言われ、中央アジアを経て中国に伝えられました。そして 仏教伝来とともに日本へも伝えられ、日本の伝統音楽にも多大な影響を及ぼしました。謡曲や長唄も、そして演歌までもが声明にルーツがあるといわれているんです!
「勝林院」は、同じく大原にある「来迎院」と共に大原声明二流を担っていて、声明梵唄修行の僧らが多く集まる寺院です。そして 今年、開創一千年を迎えることを記念し、同寺にゆかりの深い各宗派の僧侶によって声明を中心とした慶讃法要が営まれたという事なのです。
「1000年に一度!本場大原で 本物の仏教音楽が聴ける!」などという凄い話を聞きつけたあおいみみずく。このチャンスを逃してなるものか!と、しょぼ降る雨の20日土曜日、いつもお腹を空かせた熊を道連れに 結願法要に馳せ参じました。
気合を入れすぎて、開始時間より 随分 早く着いてしまったのですが、なんと、先着30人くらいは本堂の中、お坊様達のすぐ背後で聴けるという事!しっかり先着してておりました 熊とみみずく。ほぼ二時間に渡り、雅楽から始まる 古の有難い歌のお経の中に身を置く事ができました。
ところで あおいみみずくは なんと、大学時代「声明」の授業を受けていたんですよ。理由は「先生 (お坊様でしたが…) が優しくて、単位が取り易い」という先輩方からの情報によるもの という…今考えれば なんとも情けない理由…(⌒-⌒; )どんな事を教わったのか、全く記憶がありませんが、授業の冒頭で 必ず般若心経を全員で唱和した事は覚えています。その時は文字通り「馬の耳に念仏」状態ではあったのですが、それによって何故か気持ちが落ち着くような気がした記憶があります。
あの時 受講した記憶も ひょっとしたら私が京都好きになった一端なのかもしれませんし、 このような機会を知る事もでき、一千年紀法要にも立ち会う事が出来たということで…人生 何が役立つかわからないものですね。

2013年11月4日月曜日

建仁寺の生垣

ある日のこと、あおいみみずくは 京都「建仁寺」の境内をふらふら飛び回っておりました。
ここは「禅寺」ですから、いつ行っても清々しい風が通り抜け、祇園という京都随一の歓楽街のど真ん中にありながら、凛とした空気を保っています。
…で 見つけたこのお花。
な〜んだ*\(^o^)/*


答えは「お茶の花」です。
椿みたい…俯いて咲いているところがなんとも可愛らしいです。
でも、お茶の花なんて、街中ではあまり見かけることがありませんし、茶園でも、なるべく咲かせないようにしているらしいです。
というのは、花が咲くと、栄養分がそちらに取られてしまい、来春の芽吹きに影響が出るからとか。
収穫の為には、手塩にかけて 花を咲かせない…ちょっと可哀想。
俵屋宗達の「風神雷神図」があるお寺としても有名な 建仁寺は、平安時代末期の僧「栄西禅師」によって創建されました。
栄西禅師は、留学中の「宋」で熱病にかかったのだそうですが、その時 老僧にお茶を飲ませてもらい 身体が回復したので、これは良い!と、中国から日本に茶種を持ち帰り 栽培を奨励し、それまで貴族・僧侶の上流社会だけに限られていた喫茶の習慣を 一般社会にまで普及させ、その功績から「日本の茶祖」と、呼ばれています。
栄西禅師はまた、「茶は養生の仙薬、延齢の妙術である」という文章で始まる『喫茶養生記』という本を書いて、鎌倉3代将軍・実朝に献呈しています。
お茶はもともとお薬だったんですね。「延齢に妙術」という事。あおいみみずくはちょっぴり茶道を嗜んでおりますが、妙術の効果は如何程なんでしょうか…そう言えば、お茶の先生は長生きの方が多いような…
…と、以上のような事から、栄西禅師建立の建仁寺ではお茶が飲むだけでなく、垣根としても使われているようです。垣根の剪定の折など、ひょっとしたら良い香りが境内に漂うのでしょうか?
建仁寺を拝観し お庭を散策する際は、是非 お茶の垣根にも 注目してみてくださいね。