少し前の事ですが、西暦2013年 (佛暦2556年) 10月5日~20日までの16日間、京都 大原の三千院・来迎院共催で「声明」を中心とした1000年紀の法要が「魚山 勝林院」本堂にて行われていました。
大原の「勝林院」と言えば、法然上人が 名だたる僧達と議論をして 論破した という「大原問答」が行われた所として ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、声明の根本道場でもあるんですよ。
大原には緩やかに流れる呂川と、ちょっと勢いがある律川という二本の細い川が流れています。これら 二筋の川の名前は、声明の曲調を示す「呂曲」と「律曲」になぞらえられたものだそうですが、この事にも表れているように 大原は 梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)の故郷なんです。
梵唄声明とは 経典などに旋律を付けて独特の節回しで唱える宗教音楽で、その起源は古代インドと言われ、中央アジアを経て中国に伝えられました。そして 仏教伝来とともに日本へも伝えられ、日本の伝統音楽にも多大な影響を及ぼしました。謡曲や長唄も、そして演歌までもが声明にルーツがあるといわれているんです!
「勝林院」は、同じく大原にある「来迎院」と共に大原声明二流を担っていて、声明梵唄修行の僧らが多く集まる寺院です。そして 今年、開創一千年を迎えることを記念し、同寺にゆかりの深い各宗派の僧侶によって声明を中心とした慶讃法要が営まれたという事なのです。
「1000年に一度!本場大原で 本物の仏教音楽が聴ける!」などという凄い話を聞きつけたあおいみみずく。このチャンスを逃してなるものか!と、しょぼ降る雨の20日土曜日、いつもお腹を空かせた熊を道連れに 結願法要に馳せ参じました。
気合を入れすぎて、開始時間より 随分 早く着いてしまったのですが、なんと、先着30人くらいは本堂の中、お坊様達のすぐ背後で聴けるという事!しっかり先着してておりました 熊とみみずく。ほぼ二時間に渡り、雅楽から始まる 古の有難い歌のお経の中に身を置く事ができました。
ところで あおいみみずくは なんと、大学時代「声明」の授業を受けていたんですよ。理由は「先生 (お坊様でしたが…) が優しくて、単位が取り易い」という先輩方からの情報によるもの という…今考えれば なんとも情けない理由…(⌒-⌒; )どんな事を教わったのか、全く記憶がありませんが、授業の冒頭で 必ず般若心経を全員で唱和した事は覚えています。その時は文字通り「馬の耳に念仏」状態ではあったのですが、それによって何故か気持ちが落ち着くような気がした記憶があります。
あの時 受講した記憶も ひょっとしたら私が京都好きになった一端なのかもしれませんし、 このような機会を知る事もでき、一千年紀法要にも立ち会う事が出来たということで…人生 何が役立つかわからないものですね。
4 件のコメント:
高校姓の頃、同じクラスのO君がパンチパーマかけてきたとき、O君に面と向かって「△△大仏様~」などと言いいながら親しみを込めて合掌のポーズをしたことがありましたが、残念なことに嗚呼O君は怒ってしまいました。O君、大きな人間になれたかなあぁ。・・というか、その前に自分が反省せねばならぬぞなもし。
声明は仏教音楽の最たるもので、私も年に3-4回、御寺さんで声明を楽しんでいます。
布教の手段に最適でしょう。ただ法然の弟子
達の声明に後鳥羽上皇の侍女2人がほだされて無断で尼さんになったことから法然、親鸞
等が遠島になったことは、浄土宗の法難、
安楽坊、住蓮坊事件として有名です。黛敏郎
の涅槃交響曲は梵鐘と声明の音響をオーケストレ-ションしたもので2年に一度くらいの
割でCDで楽しんでいます。死者の為のミサ
曲としてのレクイエムも大好きな音楽で特に
ケルビーニとドボルザークのレクイエムは大好きです。地を這いずるような低音の合唱で
荘厳された音響空間は宗教色を抜きにしても
タマラナイ感じ。人声に優る楽器はないと
つくずく感じさせられます。
路傍の小石さん、コメントありがとうございました!
パンチパーマ…一時代 流行りましたねぇ。今はほとんど見かけませんが…。とりあえず「大仏様」と拝まれるなんて、大変素晴らしい事ですが、まあ、時と場合と理由によりますかしら…。(^^;;
あおいみみずくに向かって「大仏様〜」で合掌は大丈夫ですよ!「いえいえ、未熟な私にそんな勿体無い事…」と言って、にっこり微笑むでしょう^ ^
このところ、物事を自分に都合良く捉える事が上手になって来た気がします\(^o^)/
ゲンゴロウさん、コメントありがとうございます!
「浄土宗の法難」…鈴虫、松虫 事件ですね…先日教わったばかりです!
先週、京都の「哲学の道」をぶらぶらしていたら、ちょうど法然院と、住蓮山安楽寺の特別公開に行き当たりました。安楽寺ではお寺の方が事件について色々教えてくださいました。鹿ケ谷のこの伽藍は、後鳥羽上皇によって死罪となった住蓮・安楽を供養するために建てられたものだそうです。
古の人々は 教養もあり、想像力も素晴らしく、ひょっとしたら現在よりもずっと優れているのではないかしら…と よく思ったりするのですが、こと、その「現世」に生きる人の命に関しての振る舞いについては断固 許せない思いがします。
黛敏郎の「涅槃交響曲」…聴いてみたいです!これはきっと いつもお腹を空かせた熊も興味津々だと思います。熊はツトム・ヤマシタをよく聴いてます。
因みに熊の夢は、奈良の石舞台の上で篠笛を吹くことらしいです…( ̄(工) ̄)
コメントを投稿