2014年2月25日火曜日

行く川のながれ

「行く川のながれは絶えずして、しかも もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 」
大変有名な 鴨長明の「方丈記」冒頭です。
この冒頭の一節は「無常観の文学」ということで学生時代に授業で習った覚えはあるのですが、不勉強のあおいみみずく これまで「方丈記」そのものをきちんと読んだことはありませんでした。
改めて読んでみたところ、20ページ弱と大変短いのですが これがとても面白いものでした。


鴨長明は、下鴨神社の神官である鴨長継(かものながつぐ)の次男として生まれましたが、若い頃 いわゆる権力争いに敗れ、神職の獲得ならず、自分の将来に落胆しました。
こういった挫折感が、方丈記に流れる「諸行無常」…つまり「現象世界の全てのものは生滅して、留まることなく常に変移している 」という考え方に影響しているとも言われています。
思うままにならず かつ無常の世の中ではありますが、そこに絶望する訳ではなく 現実を受け入れ自然体で淡々と生きている鴨長明の有り様に心を打たれました。
本文によると、特に長明が生きた時代は、平安から鎌倉へと、時代の権力が「貴族」と「武士」の間で揺れ動いていた 緊張した時代ということもあり、都も京都から福原に移ったと思えば、戦の挙句また京都に戻ったり、天災や人災も相次ぎ、屍も至る所に転がっているといった、不衛生で不穏な時代だったようです。
まさに 人の力…ましてや個人の力ではなんともしようもない「諸行無常…」
長明は、50才の時に大原に隠遁しました。その後 各地を転々としている間に、栖(すみか)として移動を前提とした方丈(一丈 約3m四方)を仕上げて行き、晩年は伏見の日野山に結んだその方丈の庵にて 自分が生きた時代を淡々と冷静に観察した この「方丈記」を著しました。
長明が住んだ方丈の復元建築が、現在 京都の糺の森にある 河合神社境内に展示されています。
移動に便利なように、全て組み立て式になっています。


本文の終わりに「執着」に関するくだりがありました。
「執着しないというのが仏様の教えなのだけれど、煩悩がいっぱいの自分はなかなかそんな境地には達せない…」
「執着」を辞書で調べてみると
「一つの事に心を捉われて そこから離れられない事」
とありました。
あおいみみずく自身、「物」にも 「気持ち」にも執着します。
ふと、何かに「拘る(こだわる)」気持ちが「捉われる(とらわれる)」に変化しているのに気づく事があるんです。
拘りは 離れられるけど、捉われると離れられない…
「こうでなければならない。」「こうあるべきだ。」
捉われると「他人」にも「こうあるべき」を押し付けたり…自分自身も苦しくなっているにもかかわらず、それに気がつかなかったり…
「行く川のながれは絶えずして、しかも もとの水にはあらず」
基本的には 安定していて、明日が必ず来るという事を信じられる世の中ですが、明日は今日とまるっきり一緒という訳ではなく、季節も移ろいますし、人は歳を取ります。先の記事にも書きましたが、世代を重ねると 常識というものも かなり違ってきます。
勿論 時代がどうであれ 川は変わらずそこにあるように、ほぼ変わらないものもあるでしょうが、時の流れに考えを柔軟にしたり…新しい事を試みたり…拘りつつも捉われず、 煩悩もありながら しなやかに生きる事が「丁寧に生活する」ことに通ずるのではなかろうか…と、無常観がちょっと気に入ったあおいみみずく、「今 現在」はそう思っています。


この写真は、糺の森に流れる瀬見の小川です。
新古今和歌集には
「石川や瀬見の小川の清ければ 月も流れを尋ねてぞすむ 」
という鴨長明の歌が収められています。
もとの水ではありませんが、川は変わらずそこに残っています。
長明も、遥か昔にこの川の流れを眺めていたのでしょうか…

2014年2月19日水曜日

大報恩寺で異星人と会話する

京都に滞在中、あおいみみずくは本当に色々な場所に行きました。
以前 ブログ(2013 8/16ブーツと紐靴)にも書いた 靴幅Aサイズのブーツも大活躍!この靴達 無くしてみみずくの充実京都はあり得なかったです。
自宅に戻った次の日、お世話になった靴達を磨きながら これまで訪ね歩いた所をずっと思い返してみました。
一番最初に思い出したのは、西陣にある 大報恩寺。通称「千本釈迦堂」…
本堂は鎌倉時代中期の1227年の建立で、京都の町を全て焼き尽くした「応仁の乱」の中 唯一ポツーンと残った、洛中に現存するものの中では 最古の木造建築です。
お寺そのものはシンプルな形で、西陣の街角にあります。
キラキラしていたり、借景が素晴らしかったり…という訳ではないのですが、本堂の太い立派な柱には 応仁の乱の折、刀で切りつけられた傷や 槍で突かれた穴などが残っていて、遙か古を感じます。


このお寺の本堂建立に関しては「おかめ」にまつわる伝説があります。
建立の際、大工の棟梁が立派な四本柱のうちの一本を誤って短く切ってしまいました。代わりの柱を用意することもできません。悩んでいる棟梁に、その妻 おかめが
「残り3本を短いものに合わせて切って 斗組を咬ませたらどうか。」
とひと言アドバイス。そのお陰で 無事に工事が終わったものの、おかめは「女の身分で出過ぎた真似を…」と 自害してしまったと言われています。「出過ぎた真似を…」と 伝わっているのですが、実際は「間違えたという事がバレたらどうしよう…」と 思い悩んだ夫が、それとなく「バレたら身の破滅だ…この事は自分と妻しか知らない…ああ、どうしようどうしよう…」とか 何とか、おかめにプレッシャーをかけ 自害に追い込んだとも言われている…と、たまたまみみずくが居た時に拝観なさっていた方に、タクシーの運転手さんが説明してらっしゃいました…
どちらにしても「常識」というのは時代によってこれほどにまで変わるものなのか…


嘘だか本当だか、そんな曰くのある本堂も立派ですが、何と言ってもここは仏像が良い!!
霊宝殿にある、行快作「釈迦如来坐像」・快慶の一門作「十大弟子立像(十体)」・定慶作「六観音菩薩像(六体)」などなど、ふるふる良い!
特に十大弟子立像は、いったい なに人なのか判らない風体の異人10体、それぞれの像から それぞれの性格が滲み出て…いやいや 溢れ出ていて とってもユニーク。
彼らの心の叫びが聞こえて来ます。
じっと見つめていると 自分の中の「常識」を考えさせられてしまうような感じがします。
静かでひんやりした空気の霊宝殿の中、彼等は何やら言葉を発したような…


本堂前には大変立派なしだれ桜がありました。
次回は是非とも春に行ってみたいものです…

2014年2月14日金曜日

あおいみみずくペンギンになる (追記あり)

うぁ〜!ピキッときました…>_<…
2月7日土曜日に降った大雪。こちらでは相当積ったのですが、皆様いかがでしたか?
…って言ってたら、昨日は何と7日を上回る降雪量!
雪が降ると、今まで見慣れていた景色が一気に変わってちょっと嬉しいのですが、次の日の雪かきを考えると…
雪国の方には怒られてしまいますね。
今回も前回も、たまたま週末に降ったので、雪かきの日にはいつもお腹を空かせた熊さんも家に居るし、ちょっぴり気は楽だったのですが…
夜には恐ろしい勢いで吹雪が吹きすさび…
朝、恐る恐る覗いた窓から見た景色は…とても素敵!!
「時間の暗いトンネルを抜けると、雪国だった\(^o^)/」
…と 喜んだのは束の間。
車、またまた埋まってるし…
先日の雪の際は、車の上の雪をちょっと払ってはみたものの、不毛…
とりあえず退散し、どうしようかなぁ…って考えているうちに、外から雪かきの音が…
やらねばなるまい!
意を決してシャベルを携え家を出た…1かき、2かき…
5分くらい経った頃だったでしょうか…
ピキッ!こ…腰に電気が…ヒエ〜!これって…
で、終了。熊さん 後は任せた!
…ということとで、現在、あおいみみずくは ペンギンに変身中です。
顔も洗えず 階段もよちよち一歩づつ…
今は随分良くなってきたのですが、最悪の日は座っても痛いし、立っても痛いし、くしゃみしても痛いし…寝ても痛いし…
で、回復しつつ 本日に至る…またまた雪ですぅぅ…(T_T) こないだより沢山積もってる雰囲気…
雪から雨に変わったものの、どうなることか…熊さん、ごめんよ〜
再び後は任せたm(_ _)m


(追記)
後は任せた!とは言ったものの、腰を騙し騙し ぺんぎんみみずく やれる事はやりました (足手まといの感はありましたが…)
腰は お陰様で、今のところ悪化してはおりません。
でも、あー!もう 雪はこりごり!!

2014年2月11日火曜日

熊さんは京都の空は低いといふ

あっという間に2月。それにしても、東京は凄い雪でした!
うちの方では、40cm以上積もった感じです……>_<…
つい先日、有難くもBlogを読んでくださっているお友達から、
「ブログが近頃過去形なんだけど、今は一体どこにいるの?」
と ご連絡いただいたのですが、京都への3ヶ月半に渡る長期(中期?)出張を終え、いつもお腹を空かせた熊さんは、ひっつき虫(鳥?)のあおいみみずく共々、無事 東京に帰還しております。
熊さん曰く「長かった…」
これまでに色々な街に住んだ経験を持つあおいみみずくとはちょっと違って、熊君はちゃきちゃきの江戸っ子。生まれた時から江戸住まいで、外(ほか)で生活した事が無いのです。
その熊君が、暫し京都で生活し、帰って来ての第一声は
「東京は空が高くて清々する…」
というものでした。続いて、
「京都には空が無い」
高村光太郎の 智恵子抄「智恵子は東京に空が無いといふ」と 同じ様な心境だったのでしょうか…


精神的に…というだけではなく、実際にも京都の空は低い気がします。湿度も東京と比べると夏も冬も10%くらい高いらしい…
おまけに天気の不安定なこと。我々が滞在していた間、一日中晴天という日は 1日あったか2日あったか…
朝、良い天気だなぁって思っていても、急に黒雲が湧いてきて 雨がパラパラ降り出す…と思ったら 青空…なのに雨が舞う…
東京の安定した天気の中で生活している者にとっては、何とも心が不安定になるようです。
背の高いビルが乱立している訳ではないのですが、開けた場所に行っても 何だか押さえつけられた空の印象…確かに感じます。晴れていても、どういう訳か雲が垂れ込めているような感覚…まさに「京都の空は低い」
空が低い分、天と地が交わるタイミングがたくさんあるような気がします。
異界と現実との接点…
昔の人も、そういったタイミングの時に、怨霊や、神様の事を感じたのでしょう…
やはりこういった場所には 魑魅魍魎も湧いて出て来るってもんです。
東京に帰る日、あおいみみずくは すごく名残惜しくて、何度もこれまでの住処を振り返りましたが、熊君は スタコラサッサ…
東京で 久しぶりに車の運転をしながら、
「やっぱり東京の空はいいなぁ…再発見だなあ…」
そうなんだぁ…私は京都の陰鬱とした感じが 好きなんだけどなぁ…
暗いですか?(^◇^;)

2014年2月6日木曜日

お庭にある登り窯

あおいみみずくの趣味は、茶道です。お点前の手順を覚えるのはすこぶる苦手なのですが、その精神、文化や、歴史、背景などに興味があります。そんな訳で、焼き物などを見るのも大好き。実家の愛知県に帰った時などは 近くの常滑市によく出かけ、常滑焼のお店を覗いたり 常滑の街を散歩がてらぶらぶらしたりします。
京都での住処 五条坂から、清水寺に至るまでの通りである 通称「茶わん坂」にも清水焼のお店が建ち並んでいて、色々な作家さんの作品や 古い焼き物のお店をじっくり見るのが好きでした。
そんな五条坂のすぐ近くにあるのが、こちらの河井寛次郎記念館。
陶芸家の河井寛次郎が自ら設計をし、故郷 島根からお兄さんを棟梁とする大工さん達を迎え、昭和12年に建てた住居が、そのまま記念館になっています。
そう。そのまま…


記念館の中には、寛次郎の「好きなものの中に必ず私はいる」という言葉そのままに、寛次郎さんがいっぱい。
自身の作品にサインや銘を入れず、作品を美術品として仰々しく扱われるのを好まなかったという事からか、展示ケースに入っているものはあまりなく、作品のほとんどは説明書きもなく、ただ日々の暮らしそのままに空間に溶け込んでいます。
細かい字でびっしりと書き込んである学生時代のノートをはじめ、中庭も、茶碗やお皿など 細々したものも、黒光りする椅子も 飾ってある自作の作品も、部屋を通り抜ける風も 光も 音も ここにある全ての物…自身の作品も、無名の職人の手仕事から生み出された物も、寛次郎は大好きだったんでしょう。この家は寛次郎さんそのものであるような気がします。
中庭には大きく古い 登り窯がありました。
島根県出身の寛次郎がなぜ京都に住んだか という質問に、自身は
「いや、この窯があったからです」
と答えているそうです。
 京都の町や文化が好きで…とかそういうものではなかったんですね。
この釜こそが喜び。
「好きなものの中に必ず私はいる」
三木啓楽 (けいご) さんという、あおいみみずくが大好きな漆の若手塗師がいらっしゃいますが、その方もいつだったか、「毎日の暮らしの中、例えばご飯を食べる時 気に入った器を手に取りながら、ああ これ綺麗だなぁ…っていつもちょっとした幸せを感じる、それって良いですよね…」とおっしゃるのを聞いた記憶がありますが、好きなものを好きと、日々小さな喜びを感じながら 丁寧に暮らして行く…それって幸せだなぁ。

2014年2月1日土曜日

あぶり餅屋は 乱数発生器?

京都の北、大徳寺の近くに、今宮神社という 徳川五代将軍 綱吉の生母 桂昌院ゆかりの神社があります。
桂昌院はもともとは八百屋さんの娘で「お玉」という名前でした。三代将軍家光に見初められて側室となり、後に綱吉の母として大奥で権勢をふるったという事から「玉の輿」という言葉が出来たそうです。
そんな訳で、ゆかりの今宮神社では「玉の輿守り」という ありがた〜いお守りを売っていて、私も 以前、お友達のお嬢さんに買って行った事があります…(^_^;) ま、それはそうと…
そこの参道には、京都で一番古いといわれる 創業1000年!老舗中の老舗 「いち和 (一文字屋和輔) 」と、創業400年「かざりや」という 二軒のあぶり餅のお店があって、参道を挟んだ真向かいで 呼び込みの声も賑やかに ご商売されています。
あおいみみずくは ある日、何気なく入った「いち和」の軒先にのんびりと座って、この向かい合った二軒のどちらの方にお客がたくさん入るんだろう…?と、見張っておりました。


それほど混雑もしていなかったので、邪魔にならない程度の時間、人の数を数えていたところ、結果はほぼ半々。お客さん同士 何の打ち合わせをするはずもないのに、本当にうまい具合に ほぼ同じ数の人がそれぞれのお店に入って行きました…何とも不思議…
幸せと不幸せは ほぼ半々。幸せばかり続く事もなく、不幸せばかり続く事もないって、どなたかの言葉ですが、そんな感じでしょうか…?この世はうまい具合にバランスを保っている…?
ところで、「念力が 現実の物質に 実際に作用を及ぼすことがあるかどうか」という事を実際に研究をなさっている方がアメリカにいらっしゃいます。
「乱数発生器」なるものを使って実験した例があるのですが ( 乱数発生器というのは、ある時間内に 0と1を 乱雑に発生させるもので、ある一定の時間内での0と1の発生率は ほぼ同じとなるように調整されており、その設定は まさに量子力学に基づいています。)
あるイベントが催された時に、そこに集まった大勢の人たちの感情の高ぶりといった「念力」が、その乱数発生器に作用を及ぼすかどうか…人の念力が何か現実の物質に作用を及ぼすことがあるかどうか…を調べたのです。
その結果、イベントが最高潮に達した時、片方の数字が圧倒的に高い確率で発生したそうです。
大きな災害や 人的被害が発生し 人々の心が大きく振れた時にも、この乱数発生器は同様な結果を示したとか…
「念の力は存在し、現実物質に作用を及ぼす」
ひょっとしたら今宮神社の左右にある あぶり餅屋さんは、京都を見張る為に江戸幕府が400年前にこっそりと設置した 乱数発生器だったのかもしれない…
例えば、何か大きな災いや 動乱などが発生するような気運になると、何らかの念力が作用して 片方のお餅屋さんにお客が偏ったりして…それを見逃さないで祭り事に活かした…とか…揃って水曜休みなのは、乱数発生に支障をきたさないように幕府に命じられたのだ…とか…古の人々の叡智、おそるべし…
とか 思いながら、お餅 一人前15本500円!美味しく頂きました\(^o^)/

2014年1月27日月曜日

もやしやさん…?

あおいみみずくが京都滞在中にすみかとしておりましたのは、「五条坂」という所です。
五条坂のバス停から東に坂を登って行くと 約10分ほどで清水寺。ここは清水寺や高台寺に向かう玄関口という事で、いつも東に向かう多くの人で 溢れています。
で、西に行く人は皆無。それこそ「シーン…」ま、生活の場であるから当たり前か…(^^;; 
西の裏路地には、あおいみみずくがいつも行くスーパーマーケット「ハッピー六原」と お肉屋さんがあり、そこに繋がる細い道は それこそ何度通ったかわかりません。
そんな通りの一つ「松原通」沿いに、いかにも古そうなただずまいをみせる一件のお店。掲げられた看板には「もやし」の文字が…
もやしやさん?もやしって、あの一袋50円以内で買える、庶民の味方の「もやし」でしょうか…?でも、それを専門に扱って 商売成り立っているのかしら…?もやしの老舗…?
不思議な事はもう一つ。お店の前に貼り出された、「あま酒 あります」の文字。
??もやしだけではやって行けないので あま酒も扱っている…?しかし なぜあま酒…?
いつもそこのお店の前を通りかかる度に、??の状態でした。
ところがある日、ふと目にしたNHKの番組に、あのもやしやさんが映っているではありませんか!あらー?ってことで、謎は解けました。
なんと そこは「麹屋さん」だったんです。


お醤油や味醂、お味噌、日本酒など、日本食に絶対欠かせないカビの一種、いわゆる「麹菌」
「アスペルギルス・オリゼ」
今から千年ほど前、日本人は 自然界に漂う何億種類のカビの中から オリゼ菌を抽出する方法を世界で初めて編み出しました。この菌は 現在、世界中で日本にしか存在しません。
鎌倉時代には、蒸し米の上でカビを育て どこにでも運べる「カビの種」を作る種麹屋(たねこうじや)が現れました。その後 全国に広まったものの、現在でもそれを扱っているお店は ほんの僅か。京都ではただ一軒だそうです。
「オリゼ菌」は、カビの一種ではありますが、これによって でんぷんが糖質に変化するそうで、その糖質は あらゆる「うまみ」のベースになっています。
外国にも同じような菌はありますが、自分の身を守る為に毒素を出すそうです。しかし、このオリゼと呼ばれる菌は 毒の遺伝子が すっぽりと抜け落ちている、いわば日本人によって飼いならされた 忠実な菌。
この菌が無いと日本料理は成り立たない という「ユネスコ無形文化遺産 和食」の真髄!
ただ「オリゼ菌」は、ほっておくと代を重ねるに従って老化し、でんぷんを糖質に変える機能が衰えて行くらしく、常に大切に世話をし 守っていなければならないようです。この菌が日本から失われたら、それこそ取り返しがつきません。
実はこの謎のお店は、その重要なミッションを背負っている 私達の生活には絶対に欠かせないお店だったという訳です。
オリゼ菌が萌え生ずる…で、もやし。なるほど〜!
謎が解けた後は あおいみみずく、このもやしやさんで、早速 あま酒を買いました\(^o^)/

2014年1月22日水曜日

足利義満〜夢のお告げの鹿王院

1月もあっと言う間に終盤。ブログを更新するペースがゆっくりなので、お伝えしたい事が溜まってしまって…
今回の記事は、初夢にひっかけて書いていたはずでしたが、すっかり時期を逸してしまいました。
…と、いうわけで、時期が後先になっておりますが、そこはご容赦くださいませf^_^;
さて、今回のお話。
「室町幕府三代将軍 足利義満ゆかりのお寺」と聞いて、まず最初に思い浮かぶのは「金閣寺」だと思います。
正式名称は「鹿苑寺」(ろくおんじ)
鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。義満の死後 遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山(初代住職)とし、義満の法号 鹿苑院殿 から二字をとって「鹿苑寺」と名づけられました。
本当に金色に光輝く舎利殿。いつ見ても 深いこと考えずに ただただ驚いてしまいます。
1950年に放火により焼失し、現在の建物は、1955年に再建されたものです。
沢山の修学旅行生に混じって 頑張って写真を撮りました。
どの角度から撮っても 本当に絵になりますよね^ ^
雪でもうっすらと屋根に乗ってくれたらなぁ…


そして こちらは「鹿王院」(ろくおういん)
同じく足利義満ゆかりのお寺で、応仁の乱で焼失した「宝幢寺」という寺の唯一残った塔頭です。
舎利殿の姿も金閣寺に似ていて なかなか雰囲気がありますし、歴史を感じさせる ただずまいなのですが、こちらはあまり訪れる人もなく、ひっそりとしています。



宝鐘寺は 1379年 22歳の足利義満が、夢の中で多聞天と地蔵菩薩が、
「今の将軍は福も官位も十分に満ち足りている。ここで一カ寺を建立すれば、寿命をのばすこと間違いない」
と語り合うのを聞き、最も帰依していた夢窓国師の後継者だった春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を開山として、自らの延命を祈願して建立した禅寺です。
夢のお告げを さっと現実にできちゃう権力って…f^_^;
でも、こういった権力が、後の世の文化を生んでいる…そして 現在生きる我々が享受できている…今の世と照らし合わせてみて、ちょっと複雑な思いもします。
鹿王院は、春屋の塔所(はかどころ)として、宝鐘寺内に建立されました。
応仁の乱で焼失 廃絶後 再興され、本堂は1676年、舎利殿は1763年に建立され、総門に至っては、宝幢寺建立の康暦2年(1380)まで遡る可能性が指摘されるほど歴史を積み重ねて来た 臨済宗の寺院です。
義満の自筆「覚雄山」の扁額が掲げられた山門をくぐると、石畳が真っ直ぐ伸びていて、紅葉のトンネルが続きます。両脇には青々とした苔。街中に居るとは思えない、静寂な雰囲気に包まれています。
トンネルを抜けると「客殿」 そこにも同じく義満自筆の「鹿王院」の額が掲げられ、義満の思い入れの深さが感じられます。
客殿の廊下に座って本庭を望めば、歴史を感じさせるただずまいの舎利殿。そして背後に嵐山。これぞ借景の妙。人の手で造られた庭園と 雄大な自然の一体感に、暫し見惚れておりました。成る程、心穏やかになり、延命はともかく ストレスを置いて行けそう。
本堂には、釈迦如来坐像(運慶作)や、足利義満の像。義満の像は、歴史の教科書で見た事があるような…かなり見どころ満載でしょ^o^
京福電鉄嵐山線 いわゆる「嵐電」の「鹿王院」駅から「嵐山」駅まで二駅。嵐山に向かう人は多いのですが、鹿王院は素通り。これはとっても勿体無いと思います。
夢のお告げの鹿王院。是非 不思議な力を感じに行ってみてくださいね。


それにしても、ブログを書いていると、「応仁の乱で焼失」という文字を使う事が多いこと!応仁の乱がどれほど凄まじいものであったか、本当に思い知らされます。

2014年1月18日土曜日

心の琴線〜ウードの響き

「ウード」という楽器を知ってますか?
アラブ音楽の中心となり、現在でもアラブ諸国やトルコなど、広い地域で奏でられている弦楽器です。西欧のリュートの祖先とも言われたり、東方においてはシルクロードを介し、琵琶とも関係が深いとも言われています。(実際に見た目は琵琶にそっくりでした。)
また、旧約聖書に登場するレメクが息子の死を悼み、その亡骸が骨になった姿からウードを考案したという説もあり、ウードという楽器が古くから いかに時を超え愛されてきたのか…本当に楽器の祖先とも言えるものです。
あおいみみずくは 秋の夜 (もう2ヶ月前になるんですね…ついこの間みたいな気がします…)、京都 大原の「宝泉院」という小さな寺院で、この 古から続く、心の響きを持つ楽器「ウード」の調べを聴く機会に恵まれました。
演奏してくだざったのは、常味裕司さんという、日本におけるウードの第一人者です。チュニジアで勉強され アラブ音楽の神髄を持ち帰り、様々な場面で演奏されています。NHK「新シルクロード」の音楽の監修・演奏や、最近では「龍馬伝」などの挿入音楽も演奏されているんですよ。
会場となった宝泉院は、平安時代より声明の聖地、勝林院の住職の坊(宿舎)としての歴史を持っています。
客殿から見渡す庭は柱と柱の空間を額縁に見たてて鑑賞するもので、竹林と大原の里の なんとも言えない静かな風景は、いつまでも立ち去り難く、竹のさわさわいう音を聞くと、心が無限の宇宙に漂っている感覚を覚えます。


秋の 少し肌寒い風が吹く とても静かな夜、客殿で催されたウードの小さなコンサート。
日本音楽のルーツと言われる声明発祥の地で、アラブ音楽の心、ウードの生命力溢れる響きが風に乗って漂います。時折、強い風が吹き、竹の葉がそよぐ音が大きくなります。
ふと見ると、ゆらゆら揺れる竹の隣で 樹齢700年と言われる「五葉松」の古木が堂々たる木肌を見せて 光の中、輝いています。
静寂・瞑想・祈り…その場所は、多種多様なエネルギーが塊になっていました。心の深い所に沁み渡る本当に至福の時間。
たった一日の小さな演奏会。この時間に巡り合った幸せに感謝しかありません。