2014年2月25日火曜日

行く川のながれ

「行く川のながれは絶えずして、しかも もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 」
大変有名な 鴨長明の「方丈記」冒頭です。
この冒頭の一節は「無常観の文学」ということで学生時代に授業で習った覚えはあるのですが、不勉強のあおいみみずく これまで「方丈記」そのものをきちんと読んだことはありませんでした。
改めて読んでみたところ、20ページ弱と大変短いのですが これがとても面白いものでした。


鴨長明は、下鴨神社の神官である鴨長継(かものながつぐ)の次男として生まれましたが、若い頃 いわゆる権力争いに敗れ、神職の獲得ならず、自分の将来に落胆しました。
こういった挫折感が、方丈記に流れる「諸行無常」…つまり「現象世界の全てのものは生滅して、留まることなく常に変移している 」という考え方に影響しているとも言われています。
思うままにならず かつ無常の世の中ではありますが、そこに絶望する訳ではなく 現実を受け入れ自然体で淡々と生きている鴨長明の有り様に心を打たれました。
本文によると、特に長明が生きた時代は、平安から鎌倉へと、時代の権力が「貴族」と「武士」の間で揺れ動いていた 緊張した時代ということもあり、都も京都から福原に移ったと思えば、戦の挙句また京都に戻ったり、天災や人災も相次ぎ、屍も至る所に転がっているといった、不衛生で不穏な時代だったようです。
まさに 人の力…ましてや個人の力ではなんともしようもない「諸行無常…」
長明は、50才の時に大原に隠遁しました。その後 各地を転々としている間に、栖(すみか)として移動を前提とした方丈(一丈 約3m四方)を仕上げて行き、晩年は伏見の日野山に結んだその方丈の庵にて 自分が生きた時代を淡々と冷静に観察した この「方丈記」を著しました。
長明が住んだ方丈の復元建築が、現在 京都の糺の森にある 河合神社境内に展示されています。
移動に便利なように、全て組み立て式になっています。


本文の終わりに「執着」に関するくだりがありました。
「執着しないというのが仏様の教えなのだけれど、煩悩がいっぱいの自分はなかなかそんな境地には達せない…」
「執着」を辞書で調べてみると
「一つの事に心を捉われて そこから離れられない事」
とありました。
あおいみみずく自身、「物」にも 「気持ち」にも執着します。
ふと、何かに「拘る(こだわる)」気持ちが「捉われる(とらわれる)」に変化しているのに気づく事があるんです。
拘りは 離れられるけど、捉われると離れられない…
「こうでなければならない。」「こうあるべきだ。」
捉われると「他人」にも「こうあるべき」を押し付けたり…自分自身も苦しくなっているにもかかわらず、それに気がつかなかったり…
「行く川のながれは絶えずして、しかも もとの水にはあらず」
基本的には 安定していて、明日が必ず来るという事を信じられる世の中ですが、明日は今日とまるっきり一緒という訳ではなく、季節も移ろいますし、人は歳を取ります。先の記事にも書きましたが、世代を重ねると 常識というものも かなり違ってきます。
勿論 時代がどうであれ 川は変わらずそこにあるように、ほぼ変わらないものもあるでしょうが、時の流れに考えを柔軟にしたり…新しい事を試みたり…拘りつつも捉われず、 煩悩もありながら しなやかに生きる事が「丁寧に生活する」ことに通ずるのではなかろうか…と、無常観がちょっと気に入ったあおいみみずく、「今 現在」はそう思っています。


この写真は、糺の森に流れる瀬見の小川です。
新古今和歌集には
「石川や瀬見の小川の清ければ 月も流れを尋ねてぞすむ 」
という鴨長明の歌が収められています。
もとの水ではありませんが、川は変わらずそこに残っています。
長明も、遥か昔にこの川の流れを眺めていたのでしょうか…

4 件のコメント:

スナフキンIII世 さんのコメント...


この方丈記の一節や

上善水の如し・・(老子)

とか

一滴のなかにも無量の佛國土現成...佛のいたるところには水かならずいたる水のいたるところ佛かならず現成する(正法眼蔵山水経)

とかは
水以外の他の流体からも
言えることであるか否か

・・否と思う

やはり地球上では、水と生命の関係というかなんというか・・(つまりなんとなく)



あおいみみずく さんのコメント...

スナフキン三世さん、コメントありがとうございます!
「上善水の如し」って、老子なんですね。無知な私は、単に日本酒の名前と思っておりました。因みに、日本酒の「上善水の如し」は、美味しいですけどスッキリしすぎていて…私はもうちょっと味わいがある方が好きかな?目下のお気に入り日本酒は、山本本家の「たれ口」です^o^
水は本当に、姿、形、時間、心…色々なものを流して行く…ロマンチックですね。

ジョヴァンニ・スキアリ さんのコメント...

妻の友人のオペラ歌手宅で「きき酒会」をやりました。銘柄ものの酒の中にワンカップ大関が含まれていました、私は「上善如水」がワンカップだと思い、結果は私一人0点でした。これはしばらくの間語り草になっていました。

あおいみみずく さんのコメント...

ジョヴァンニさん、コメントありがとうございます!
上善如水とワンカップ…(^◇^;) でも、わかるような気がします。
「上善如水」は、日本酒のクセの様なものを出来る限り排除して、本当に飲みやすくしてありますものね。
香りもフルーティーで、日本酒が苦手な人の 入門のお酒としては最適ですが、「日本酒好き」には物足りないかも…と、私は思います。そこらへんの物足りなさが、ワンカップと思った所以かと…^o^
ところで私、ワンカップ大関を飲んだコトないって、今 気がつきました。ちょっと試してみようかな。