京都での住処 五条坂から、清水寺に至るまでの通りである 通称「茶わん坂」にも清水焼のお店が建ち並んでいて、色々な作家さんの作品や 古い焼き物のお店をじっくり見るのが好きでした。
そんな五条坂のすぐ近くにあるのが、こちらの河井寛次郎記念館。
陶芸家の河井寛次郎が自ら設計をし、故郷 島根からお兄さんを棟梁とする大工さん達を迎え、昭和12年に建てた住居が、そのまま記念館になっています。
そう。そのまま…
記念館の中には、寛次郎の「好きなものの中に必ず私はいる」という言葉そのままに、寛次郎さんがいっぱい。
自身の作品にサインや銘を入れず、作品を美術品として仰々しく扱われるのを好まなかったという事からか、展示ケースに入っているものはあまりなく、作品のほとんどは説明書きもなく、ただ日々の暮らしそのままに空間に溶け込んでいます。
細かい字でびっしりと書き込んである学生時代のノートをはじめ、中庭も、茶碗やお皿など 細々したものも、黒光りする椅子も 飾ってある自作の作品も、部屋を通り抜ける風も 光も 音も ここにある全ての物…自身の作品も、無名の職人の手仕事から生み出された物も、寛次郎は大好きだったんでしょう。この家は寛次郎さんそのものであるような気がします。
中庭には大きく古い 登り窯がありました。
島根県出身の寛次郎がなぜ京都に住んだか という質問に、自身は
「いや、この窯があったからです」
と答えているそうです。
京都の町や文化が好きで…とかそういうものではなかったんですね。
この釜こそが喜び。
「好きなものの中に必ず私はいる」
三木啓楽 (けいご) さんという、あおいみみずくが大好きな漆の若手塗師がいらっしゃいますが、その方もいつだったか、「毎日の暮らしの中、例えばご飯を食べる時 気に入った器を手に取りながら、ああ これ綺麗だなぁ…っていつもちょっとした幸せを感じる、それって良いですよね…」とおっしゃるのを聞いた記憶がありますが、好きなものを好きと、日々小さな喜びを感じながら 丁寧に暮らして行く…それって幸せだなぁ。
4 件のコメント:
私は河井寛次郎が大好きですので、今回の記事は楽しんで読ませて戴きました。
自作を作品と呼びたくないという寛次郎の謙虚さも尊敬します。でもそのような事に関係なく、寛次郎の作った陶芸品を観ているとただ単純に楽しく、美しいと思うのです。
作者は有名な人だとか、そういうような前提知識を必要としない「独立自立した美」ということで、アートの理想の形だと私は思います。
ジョヴァンニさん、コメントありがとうございました!
「独立自立した美」いい言葉だなぁ…この頃は逆に、作品の生み出された背景とか、作者自身の抱えているドラマが作品を押し出すといったことが多いような気がします…
寛次郎さんの作品を見ると、思わず微笑んでしまう自分がいます。理由はわからないし、作品を理解している訳ではないのですが…記念館でしばらく過ごしていると、なんとなくその理由(わけ)が感じられる気がします。
河井寛次郎。足立美術館を訪ねました時、常設展示がありました。京都の記念館、一度訪ねたいところです。浜田庄司や柳宗悦と出会い、民芸運動を起こした人ですね。
「好きな物を好きと日々小さな喜びを感じながら丁寧に暮らしていく。」
素敵ですね。
もう散歩の途中、日だまりにはオオイヌノフグリが空の色を写したような色で咲いていますよ!
エーデルワイスさん、コメントありがとうございます!
寛次郎さんの記念館には、華美でなく、物も多くないのですが、そこにあるもの全てに愛情がこもっていて、調和がとれていて、まさに「丁寧に暮らす」…とても憧れを感じました。自分を振り返ると、能力以上のものをため込み…例えば、ものすご〜くしょうもない事ですが、冷蔵庫や食品庫はカオスで…「食」は大切ですよね。食材を丁寧に使う。まずはそこから始めてみようと思います。
今日は大雪。日だまりのお花は 健気に雪の中で我慢してますね。頑張れ!
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