京都に滞在中、あおいみみずくは本当に色々な場所に行きました。
以前 ブログ(2013 8/16ブーツと紐靴)にも書いた 靴幅Aサイズのブーツも大活躍!この靴達 無くしてみみずくの充実京都はあり得なかったです。
自宅に戻った次の日、お世話になった靴達を磨きながら これまで訪ね歩いた所をずっと思い返してみました。
一番最初に思い出したのは、西陣にある 大報恩寺。通称「千本釈迦堂」…
本堂は鎌倉時代中期の1227年の建立で、京都の町を全て焼き尽くした「応仁の乱」の中 唯一ポツーンと残った、洛中に現存するものの中では 最古の木造建築です。
お寺そのものはシンプルな形で、西陣の街角にあります。
キラキラしていたり、借景が素晴らしかったり…という訳ではないのですが、本堂の太い立派な柱には 応仁の乱の折、刀で切りつけられた傷や 槍で突かれた穴などが残っていて、遙か古を感じます。
このお寺の本堂建立に関しては「おかめ」にまつわる伝説があります。
建立の際、大工の棟梁が立派な四本柱のうちの一本を誤って短く切ってしまいました。代わりの柱を用意することもできません。悩んでいる棟梁に、その妻 おかめが
「残り3本を短いものに合わせて切って 斗組を咬ませたらどうか。」
とひと言アドバイス。そのお陰で 無事に工事が終わったものの、おかめは「女の身分で出過ぎた真似を…」と 自害してしまったと言われています。「出過ぎた真似を…」と 伝わっているのですが、実際は「間違えたという事がバレたらどうしよう…」と 思い悩んだ夫が、それとなく「バレたら身の破滅だ…この事は自分と妻しか知らない…ああ、どうしようどうしよう…」とか 何とか、おかめにプレッシャーをかけ 自害に追い込んだとも言われている…と、たまたまみみずくが居た時に拝観なさっていた方に、タクシーの運転手さんが説明してらっしゃいました…
どちらにしても「常識」というのは時代によってこれほどにまで変わるものなのか…
嘘だか本当だか、そんな曰くのある本堂も立派ですが、何と言ってもここは仏像が良い!!
霊宝殿にある、行快作「釈迦如来坐像」・快慶の一門作「十大弟子立像(十体)」・定慶作「六観音菩薩像(六体)」などなど、ふるふる良い!
特に十大弟子立像は、いったい なに人なのか判らない風体の異人10体、それぞれの像から それぞれの性格が滲み出て…いやいや 溢れ出ていて とってもユニーク。
彼らの心の叫びが聞こえて来ます。
じっと見つめていると 自分の中の「常識」を考えさせられてしまうような感じがします。
静かでひんやりした空気の霊宝殿の中、彼等は何やら言葉を発したような…
本堂前には大変立派なしだれ桜がありました。
次回は是非とも春に行ってみたいものです…
2 件のコメント:
おかめさんはなぜ自害してしまったんだろう?
まあ、当時は恥かかされたといっては刀を振り回したり、大勢で京都の町を壊し焼いてまわったりしたような時代だから、いまでは考えられない常識があったのかもしれない。
彼はいい年して常識がないな、なんて言われることもあるかもしれないけど、その当時にこんなこと言われても、全く平気かもね。
路傍の小石さん、コメントありがとうございます!
確かに、おかめさんの生きた時代に「非常識」と言われようが…いえ、むしろ 非常識と言われた方が良いかもしれませんね。
時代によるというだけでなく、こういった当時の日本の常識が現代でもまかり通っている国や地域もありますね。色々考えさせられます。
ときに、もしも応仁の乱が起こらなかったとしたら、今の京都はどんな景色だったのでしょうね。
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