2015年4月26日日曜日

花満ち満ちる大通り

春もたけなわですね。東京も花満ちる春。
桜吹雪の後、街にはチューリップやムスカリ、芝桜など次々と咲き始め、現在は花水木が満開。街には花が満ちています。
日射しから始まった春が 色彩を持ち、実態を伴ってくる様を日に日に感じる今日この頃です。
国立(くにたち)の大学通りの桜を愛でて、その後 昭和記念公園で花の中を散歩する…というのが 毎年恒例のあおいみみずく的春の過ごし方で、もう かれこれ30回以上 このパターンで春を感じております。
国立駅は線路の高架工事に伴って、新しい駅舎になりました。
以前は北口と南口が分断されていて 行き来ができ難く 多少 不便でしたが、現在はすっかり自由に通り抜けできる様になりました。ただし、この駅舎のデザインは不満です。
以前の国立駅は赤い三角屋根の小さな駅舎で、大学通りから望む景色は 青い空をバックに可愛い赤い三角形が映え、長閑なのんびりとしたものでした。が、ある時 突然北口駅前に大きなマンションが立ち並び、その風景が一変。背景の青空がなくなりました。
それだけでもかなりショックでしたが、その後 三角屋根の駅舎は無くなり、機能的ではあれど 無機質な どこにでもあるような駅舎になってしまいました。
時代の流れとは思うのですが、寂しいですね…


今年の桜は 開花した途端、暖かい日がしばらく続いたので、あっという間に満開となり、満開になったかと思ったら、強い風に煽られて、あっという間に散ってしまいました。
桜並木を歩くと、とても嬉しいのですが、そこはかとない寂しさも感じてしまいます。
染井吉野の色が、少し灰味がかった控えめな色だからかしら…
春霞の中に咲く桜は まるで幻のようです。人の一生を感じさせらる…泡沫の夢…

☆ 灰色の空いつぱいの桜かな

初めて国立の桜並木を歩いたのは、一昨年に亡くなった友人と一緒でした。
高校からの親友で、何をするにも一緒。
大学進学を機に、共に愛知県から出てきて 東京の街をあちこち探検しました。
表参道も、竹下通りも、新宿も、上野公園の美術館も…初めて行ったのは 全て彼女とでした。
吉祥寺の喫茶店を巡り、煙草も吸わないのに マッチを沢山 集めたなぁ…
国立の大学通りを歩き、一橋大学の兼松講堂の前で写真を撮って、ひつじ工芸というお店で小さなガラス細工を買って…本当に楽しい思い出。
彼女が突然亡くなってから、春 国立の桜が咲くと、綺麗だな…っていう気持ちと 寂しい気持ちが入り混じります。今は 寂しさの方が勝るかな…

☆ 亡き友と語らひ歩く花の下


今年に入ってから 中学時代のクラス会のお知らせがありました。
愛知県での開催だったので、遠いし どうしよう…と 思ったのですが、開催日が祖母の法事の前日だったので、帰省がてら出席する事ができました。
それこそ35年ぶりに懐かしい顔に再会できて、古くも新しい方々と再び繋がる事ができました。
共に登下校したお友達と 再び会い 言葉を交わす事もでき、本当に嬉しかった。
クラス会の日は 3月7日。実は その日は祖母と亡くなった友人の誕生日だったんです。
友人とおばあちゃんが「これからも楽しく頑張れ!」って、エールを送ってくれたのかな…

☆ 熱燗や三十五年ぶりに会ひ

2015年3月29日日曜日

北窓開く

しばらくご無沙汰いたしておりましたが、その間 春はいっそう進んだようです。
いつの間にか 梅の花は盛りを過ぎ、木蓮は天に向かって花を開き、沈丁花の良い香りが街中に漂い始めました。
ただ 三寒四温とはよく言ったもので、近頃は「ちょっと暖かいかな?」と気を緩めた途端、次の日は冴返る…体調を整えるのが大変ですよね。
前回のBlogで「春は光からやって来る」と書いたのですが、春が深まって来ると 透き通ってキラキラしていた光が次第に濁って感じられます…「濁る」という表現は美しくないですね?…「霞む」の方が良いかしら?町がうっすら霞んで見えます。
日本語には「春霞」という美しい言葉がありまよね。
「霧」や「霞」とはウィキペディアによると、
「大気中の水分が植物の蒸散が活発化するなどの要因によって増え、気温の低下などによって微粒子状となり、目に見える状態になる。昼と夜の変わり目で気温差の大きい日に起こりやすい。」
とありました。
この状態は「春」という時期に特に起こりやすいので「春霞」という言葉があるのですね。
「春霞」という言葉の響き自体は大変美しいので、「大気中の水分が微粒子状になる」という事で一件落着としたいのですが…でもやはり 今の時期、埃っぽくありませんか?
春は秋と違って朝だけではなく一日中霞んでいる印象です。水分だけではなく、スギ花粉と黄砂と埃がモワッと一面に漂っている感じ…目がチカチカ痛いし 喉はガラガラ 髪の毛を毎日洗わずにいられない…これが「春霞」の正体だったりして…
スギ花粉というのは現代の困り者ですが、黄砂はずっと前の時代から飛んで来ていそうですよね。
そういえば、あおいみみずくが大好きだった NHK大河ドラマ「平清盛」…
画面に平安時代っぽさを出すために、コーンスターチを扇風機で漂わせて わざと白く霞ませた映像を撮った という話を聞いた事があります。
平安時代は道も舗装されてないし、火を焚けば煙モクモク…相当埃っぽかったで事しょうね。おまけに春は中国からの黄砂来襲。町はいちだんと埃でいっぱい…で、これこそが「春霞…」
「悪環境」を「素敵!」に変えてしまう、これぞ平安人の雅!…と、一人(一羽?)納得のみみずく…
それにしても、春って 気温も気圧も安定せず、喉イガイガで、調子イマイチ。桜が咲くという大イベントがなければ かなり憂鬱な季節だったりして…(^^;;


いえいえ 前向きに行きましょう!
冬の季語に「北窓塞ぐ」という言葉があります。
言葉の通り、寒風を防ぐために 冬の間 北向きの窓を板や鎧戸で塞ぐという意味です。
冬の間 閉めきってていた窓。春には開けましょう!
「北窓開く」…こちらは春の季語です。
あおいみみずくの住処から1分も行かないところから、富士山が拝めます。
春の霞に輪郭が少しぼうっとぼやけ、山の稜線は滲んで見えますが、その様子がとても穏やかな山の風情となっています。春の優しい富士山です。
みみずく家の北窓から見えると仮定して…

 ☆ 北窓を開け富士山を拝みける

え…なになに?うちのいつもお腹を空かせた熊が一句作ったって言ってます…?

 ☆ このところ頭の中が春霞

うーん…(^^;; 
あ!上の写真は「ボケの花」です (⌒-⌒; )

2015年2月17日火曜日

春は光から

2月4日は「立春」でした。
「立春」…文字通り「春の立つ日」なのですが、それからしばらくの間は まだまだひどく寒いし…
毎年 2月というのは なんとなく気持ちも暗く どんよりしていました…が、昨年より俳句を始めたあおいみみずく*\(^o^)/*今年の立春以降は やはり少し心持ちが違うような気がするのです!
俳句の季語に「春光」という言葉があります。この言葉を知っての今年…2月の光の見え方がいつもとは違うような…「春光」という意識で光を見ているからなのか、1月の光とは波長が違って感じられるのです。
何だろう…含まれているスペクトルが多いというか…煌めいているというか…
立春過ぎの2月9日に 群馬県の富岡製糸場に吟行に行ったのですが、その道中に車窓から眺めた風景は 春光を浴びて本当に輝いて見えました。
特に高崎駅から上州富岡駅まで乗車した「上信電鉄」の車窓から見た鏑川 (かぶらがわ) は本当に素敵!水面が春光を反射してキラキラ光る様は、うっとり見入ってしまう風景でした。
上信電鉄はのんびり ほっこりして 本当に癒されます。単線路なのかしら…?両側から藪がおっ被さって(!)来て、ちょっとドキドキする場所を通り過ぎると 急に目の前が開け、光る川が眼下に…かと思うと 農家のすぐ裏庭を通り抜け…垣根には真っ赤な椿が咲いていて…蠟梅に満作の花…電車の中は程よく暖房が効いて、春の陽射しは何となく熱く…
あおいみみずくの住処から電車で富岡製糸場に行くには、車だと割と近いのですが、電車だと かなり大回りになってしまうので、実を言うと 当日まで出掛けるのが かなり億劫でした。ですが、この春の陽射しを浴びた小旅行は とても気持ちの優しくなれる なんとも良い時間となりました。
目的地「富岡製糸場」も 世界遺産という事で歴史的にも価値があり面白かったのですが、みみずく的にはむしろ そこまでの道中の方が心に残ったかな(^^)
とはいえ、折角なので製糸場で一句

☆ 春光や工場前の丸ポスト


そんな経験をした後、我が住処に午前中射し込む この時期の光がとても美しい事に 今更ながら気がついた あおいみみずく…
ピアノの生徒さんが朝9時からいらっしゃる日があるのですが、彼女が弾くラヴェル作曲の「クープランの墓」が 窓から射し込む朝日と相まって、ちょっと涙が出てきそうになりました。
なんて美しい光…なんて美しい音楽…
春はまず 光からやって来るんですね。
あおいみみずく これまで嫌いと言って憚らなかった2月ですが、ちょっぴり好きになりそうです!

2015年1月28日水曜日

初釜

先日、初釜に行って来ました。
初釜とは 新年最初に行われる 新たなる年をお祝いするお茶会です。
床の間には結び柳と椿が生けられ 華やかな飾り付け。新しい一年に期待する高揚感を感じさせられます。
今回は新宿の懐石料理のお店で お茶室をお借りしての集まりでしたので、席入りから炭手前、懐石料理をいただいた後 席を改めて重ね茶碗でのお濃茶 続いてのお薄と、一連のお茶事の流れに沿ったものでした。
一月に入ってからなんだかんだダラダラとしていた気持ちを引き締めるためにも、頑張って着物を着て このようなお茶会に出席できるのはとても幸せな事です。
あおいみみずくは 今回はお客として参加させて頂きました。
お茶をいただくには勿論 作法があるのですが、懐石料理を戴くにも作法があります。みみずくのお茶の嗜み具合は まだまだ初歩段階。かなりの緊張感…「お料理を楽しく美味しく味わって食べる」という感じではありません。
最初 お箸を取り上げる所から 最後 お箸を置く所まで、諸先輩方の所作を横目で確認しながら 必死でついて行く状態で…とても味わうどころではありません。
いつの日にか「ああ、美味しい!」って心から思えるようになりたいものです…
そうは言っても やっぱりこの緊張感って ある意味好きかも…
「修行」という感じで一連のお茶事の流れを追いかけながら 背筋が伸びて行く感じがあり、この何とも言えない感覚が好き…言うなれば これは「禅」の感覚なのかもしれません。
初釜後 住処に戻ったみみずくは、疲れ果て モノも言えずに爆睡してしまいましたが、心を整えたところで また新たな一年を歩んで行こうと 少し前向きに決意…って…実はもう少しで2月…
やっぱりあおいみみずくは 人並みより随分遅れたのんびりみみずくでした…(^^;;

2015年1月18日日曜日

スカイツリーの上から

先日…とは言っても、昨年になってしまうのですが…暮れに、友人とスカイツリーに行って来ました。
スカイツリーは着工が2008年7月14日。3年半後の2012年2月29日竣工し、2012年5月22日に展望台として開業しました。
開業してすぐは展望台に上がるのに大混雑。チケットを買うのも エレベーターに乗るのも長蛇の列…という事だったので、一応 東京人のあおいみみずくは しばらく様子を伺っておりました。
で、あれから2年半経つし、そろそろ混雑も収まった頃かしら…?という事で、いよいよ出かける事にした訳です。今回の同行者は ももんがとまぁちゃん。
前日、ももんがからメール。集合は現地に朝の9時!…ちょっと早いのですが ツリー自体は 朝8時から開業しているという事で、混雑前に登る計画だそうです。
9時に着いてみると、展望台のチケット売り場は土曜日というのに思ったほどの混雑は なし。
並ぶこともなく、すんなりとチケットをゲットできました。
で、みみずくは早速 こちらのエレベーターの素晴らしさに感激!
地上4階から高さ350mにある第一展望台までは、40人乗りの東芝製エレベーターが分速600mという速さで登ります。この間 たった50秒!
凄い速さなのですが、これがビクとも揺れず 本当に滑らか。
一般的なエレベーターって、希望階に着くと扉が開くまでに少し間がありますよね。あおいみみずくはそれにちょっとした緊張感というか恐怖感を覚えるのですが、その嫌な間が一切ありません。エレベーターが止まったなって思ったら、即 扉が開く…ストレスフリー!これには感動!
第一展望台に到着!この景色! 東京タワーが中央に見えます。


以前 このブログで京都タワーからの景色をUPしたのですが、成る程 こちらの方が かなり高い印象ですね。
京都タワーの展望台は高さ100m、こちらは350m…
東京って こうして見ると、本当に広いし…なんというか…ゴチャゴチャしてますね。
ここまでの料金は 当日券で大人2060円。この階にはカフェもあり、眺めを楽しみながら軽食などをいただく事ができます。
この上にある第二展望台までは更にエレベーター料金1030円也。
どうする…?う〜む…でも、やっぱりここまで来たんだから…行きましょう!
こちら第1展望台と450mの高さにある第2展望台を結ぶ、約30秒間 分速240mのエレベーターは 日立製だそうですが、こちらも同じく大変スムーズ。さすがの日本の技術です!
第二展望台からの眺めはこちら。


更にゴチャゴチャ…(^^;;
ちょっと標高が高すぎますね…訳わかんない…雲が本当に近くにあります…
この日は若干曇っていたので、遠く富士山は望むことが出来ませんでした。ちょっと残念。
それにしてもよくもまあ、これだけの建物をビッシリと建てられたものですよね…


その後 第一展望台に戻り、早め早めに行動したお陰で 待つ事もなく 展望台カフェで 素晴らしい眺めを楽しみながら お昼を頂く事ができました。やっぱり ももんがちゃんの行動予定は正解!
その後は東京ソラマチでショッピングしたり、お茶したりと楽しめたのですが、この日はクリスマス近く。夕方よりプロジェクションマッピングが行われるという事で 暗くなってからは凄い人!ツリー周辺はもう人波で歩けないくらい…プロジェクションマッピングは諦めだなぁ…
ただ、スカイツリー自体もクリスマスカラーの照明で素敵でしたよ(^^)でも手ブレで写真がうまく撮れませんでした。
なにはともあれ、自立式電波塔世界一の634mという全高を誇り、日本の技術の粋を堪能できるスカイツリー…
ちょっとエレベーター料金が高い気もするのですが…一度は登る価値ありかな*\(^o^)/*

2015年1月10日土曜日

すっかり明けてしまいまして…

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします*\(^o^)/*

…と言うものの、いつの間にやらすっかり明けてしまっておりました(^^;;
日々ダラダラ過ごすと、本当に時が経つのはあっという間ですね。
あおいみみずくは普段の日でも御存知の通り「隙あらば昼寝する」的な怠けみみずくなのですが、その中でもこのお正月の何もしなさ加減は…(ー ー;)
昨年の年頭には、日々丁寧に生きるという事を心に誓ったのに…このままでは足が退化するだけでなく、裏も表も前も後ろもわからないようなナマコと化してしまいそう…「あおいなまこ…」
ま、それも良きかな(^◇^;)


で、今年 ようやく重い重い腰を上げて出かけたのが、みみずくの住処からバスで7分という近さで開催された句会でした。しかも句会場はバス停の目の前…うーむ…絶対足が溶けて失くなる…
ボケたお正月を過ごしていたせいか、自分の句はいまひとつの出来でしたが、ちょっと面白く新しい言葉を覚えました。
「人日」(じんじつ)という言葉です。
かなり多くの方々が、この「人日」という言葉を使って俳句を詠んでいらっしゃいました。
あおいなまこ…でなく みみずくは、初めて聞く言葉でしたので 早速帰ってからWikipediaで調べてみたのですが…
なんでも 古来中国では、正月一日を鶏の日、二日を狗(犬)の日、三日は猪(豚)の日)、四日が羊の日、五日が牛の日、六日が馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていたそうです。お正月のおめでたさを、動物達にもお裾分け…という意味合いなのでしょうか?
で、七日は人の日。つまり「人日」とは一月七日の事なのですが、この日には犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていたそうな…
また、中国ではこの日に7種類の野菜を入れた羹(あつもの)を食べる習慣があり、平安時代に これが日本に伝わって七草粥となり、江戸時代に一般に定着したという事です。そして人日を含む五節句が江戸幕府の公式行事となり、将軍以下全ての武士が七種粥を食べて人日の節句を祝ったとあります。
因みに五節句とは、1/7 人日 ・3/3 上巳(じょうし) ・5/5 端午 ・7/7 七夕 ・9/9重陽 で、幕府の重要な行事として祝日とされたものだそうです。
あおいみみずくの手元にある俳句歳時記には 人日の項に
「人間世界のこの一年の運勢を占う日」
とあります。一月七日というのは、以前から かなり大切にされていた日だったのですね…ってワケで、

人日やなまこに足の生えもして

あおいみみずくだけにしか意味がわからない…これは俳句とは言えませんね…(^^;;
しかも「海鼠(なまこ)」は冬の季語…季重なり…オソマツ…m(_ _)m
こんな調子でのんびり過ごす…いえいえ…丁寧に (のんびりの同義語…あおいみみずく辞典より) 一年にしたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


…人日を抹茶のパフェでお祝いす *\(^o^)/*

2014年12月15日月曜日

景信山から相模湖へ

近頃 急に寒くなりましたね〜
衣服でいくらか調節できるので 夏の暑さよりマシ…とは言え、いきなりの気温の低下に このところ すっかり家にこもっております。
こんなに低温になるちょっと前、まだまだ気温も心地よかった11月23日、この秋 せっかく揃えた山ガールの衣装を活用すべく あおいみみずく プチ登山に行って参りました!
今回のコースは山の達人、きのこさんが組んでくださったコース。
まずはJR中央線高尾駅で待ち合わせ、バスで小仏下車。
そこからゆっくり景信山に登り、尾根伝いに小仏峠を経て小仏城山の山頂。
そこから高尾山に抜け下山…
あおいみみずくにしてはかなりのコースなのですが、きのこさん曰く「初心者も大丈夫 ゆったり歩けるコース」だそうです。
大丈夫かなぁ…


まあ、ここでこうして無事にブログを書いていられるという事は、大丈夫だったワケですけど…
すごく楽しかったのですが、かなりへばりました。
小仏の登山口から景信山までは 年配の方々も沢山登ってらして…息を切らせて登っているのはみみずくくらいなもの。そんなに早足で登ったりはしませんでしたが、心肺機能がかなり衰えているのかなぁ…。
山道をすれ違う時は 登る人が優先。下る人は待っているというのがルールだそうで…。
でも、待っていられると 慌てるんですよね。悪いと思い、ヒーヒーしながら早足に。すれ違った方に「大丈夫ですよ。待ってますからゆっくり自分のペースで!」と 声をかけていただいたりしました。
やはり日頃の不摂生が祟りますね…(^^;;
やっとの思いで景信山の頂上に登ったら、そこで待っていたものはきのこ汁♡
景信山のナメタケを使っているのでしょうか?まあ美味だった事!
ご褒美にしては質素ではありますが、家から持って行ったおむすびと共に頂くと あまりにも美味しくて!この感覚は是非もう一度味わいたいものです!


景信山を後にして尾根伝いに城山まで進みます。
ここはあまりアップダウンも無く、歩き易いのですが、登山道に被さるように斜めになっている木が沢山。冬の雪か何かで押されてしまうのかしら?そんなに積もるのかなぁ…
ここのルートは風が吹き抜け 所々で視界も開け、爽やかで楽しい道行でした。
それにしても 11月の末というのにやけに暑く、すれ違う人の中には半袖の方もいらっしゃいました。あおいみみずくも寒さに対応した服装をしていたので汗だく…。
これって乾く時冷えるんですよね…こういう時に 綿の下着は最悪。体温を必要以上に奪うのだとか。今回は山ガールですもの!準備万端。大丈夫です\(^o^)/
城山に到着した後は、高尾山に向かうはずでしたが、日曜日という事で相当混んでいるだろうという予想と、このペースで歩くと日が暮れてしまう心配もあったので ルートを変更し、このまま相模湖に向かって下山する事となりました。


ここからはかなり急な下り坂が続きます。
山登りって、登りより下りの方が足にきますね。
下りながら何度も「ここでリタイアする!」と宣言したくなりました…(どうぞどうぞってほっておかれますよね…)
ああ!平地に降りたら自分で自分を褒めてあげたい…
城山登山口より相模湖までちょっとバスに乗り、JRの相模湖駅の目の前のお店で乾杯!
計画をしてくださった きのこさん、同行のぴょこぴょこちゃん、ありがとう!
次回はもっと体力つけて頑張ります!

2014年12月5日金曜日

ちょっと不思議ないちょうかな

この写真、いちょうの木が沢山ある…という風景ですが、ちょっと不思議な感じがしませんか?
いつも見慣れた風景と、ちょっと違う…?


どうでしょう…?わかりましたか?
わからない方には、ヒントの写真。いつも見慣れたいちょう並木の写真です♡


ちょっとわかりにくいかな?
カメラの角度に注目です…そう!背丈がとても低いんです!
こんな風に背丈を低く作るのは、こちらが銀杏農家だからなんです。
あ、因みに2枚目の写真は昭和記念公園のいちょう並木。立派な大木が空高くそびえていて…この季節独特の 潰れた銀杏の香りが少しばかり立ち上っておりましたが、金色落葉を踏みしめて歩く この時期 特別の感覚!やっぱり楽しいですよね♡
1枚目の写真は 武蔵境にある 銀杏農家の、お庭件農園。その広さ何と5000坪…
こんな武蔵野の素敵な場所、それも中央線の駅からそれほど遠くない所に こんなに大きな農園があるなんて、びっくりでした。
この日は俳句の方々との吟行で訪れたのですが、皆さん 感嘆の声をあげておられました。
背丈を低く作った為に、銀杏の収穫がしやすいみたいですね。全てのいちょうの木の根元には接ぎ木の跡がありました。
私達がお邪魔した時は、少しばかり地面に落ちていた銀杏もありましたが、その大部分はすでに収穫済み…という訳で、それほど銀杏臭もせず、金色落葉を思いっきり蹴っ飛ばして歩き回りました!

☆ 蹴り上げしその下にまた落葉かな

落葉って硬い地面の上に降り積もると滑るんですが、こちらは土がふかふかだったので、思う存分落葉の中を走り回り…はしませんでしたが、歩き回る事はできました!
こちらの農園ではもちろん銀杏の即売もしていたので 買って来たのですが、銀杏って新しいうちはかなり苦いですか?
買って来たばかりの銀杏にちょっと穴をあけ、茶封筒に入れて電子レンジの中に…1分くらいで弾けて出来上がり…だったのですが、苦い…
薄い翡翠色だったので綺麗だったのですが…苦い…
ところが、3日ほど過ぎてから残りのものを食べてみたら、同じ作り方でも苦くない!!
意外と作物って、新しいものは苦いものなのかもしれませんね。
新しき青き苦味って言いますか…
そうか!青春の味ですね!!

2014年11月26日水曜日

応仁の乱と銀閣寺

京都の話が出たついでに 気になる事を一つ…
京都について 色々調べていると「応仁の乱で焼失」という言葉が頻繁に出て来るんですよね…
京都の街は焼け野原になり 大報恩寺(千本釈迦堂)ただ一つが ぽつーんと残ったとか…
もしも「応仁の乱」が起こらなかったら、京都の街は 今とは大きく違った形だったのでしょうね。ま、こればかりはわかりませんが…
そもそも応仁の乱って何でしょう?
簡単に言えば、室町時代に勃発した「足利義政の後、誰かが将軍になるか」といった跡目争いに 管領家の相続争いが絡み、その配下にある全国の武士までをも巻き込んで11年に渡ってだらだらと続いた 京都を戦場とした戦いです。
時の将軍「足利義政」と言えば、銀閣寺を建立した将軍で、文化芸術に大変傾倒し、東山文化を形成するなど、日本の文化発展に多くの功績があります…が、一方では文化に傾倒するあまり、政治をないがしろにし、京都を戦火に巻き込んだきっかけとなった人物です。
応仁の乱の発端たる人物ではあれど、素晴らしい文化を育んだ功罪併せ持つ足利義政…
9歳にして家督を、15歳にして将軍職を継いだ義政は、応仁の乱の後、弟 義視が住し 戦乱で焼けたままになっていた浄土寺跡地に 自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる「簡素枯淡の美」を映す 一大山荘を作りあげました。
義政自身は完成まで あと3ヶ月という時に亡くなったのですが、彼が生涯をかけて 思いのままに仕上げていった東山山荘(東山慈照寺)は 江戸時代に「銀閣」と称せられ、現在に至ります。
また、ここの庭園は 義政の築造庭園の中でも現在残っている唯一の遺構です。


彼は、代々の足利将軍家が対明貿易によって集めた多くの名画や名器、墨蹟などを能阿弥とその子芸阿弥に命じて選定を試みました。また同時に、東山時代に「書院造り」の建物が成立するに伴い「書院飾り」の法式も能阿弥に命じて作らせました。(書院飾りは、後に相阿弥にいたって完成されます…)
ときに 能阿弥は、茶の湯の作法を村田珠光について学び、その珠光を義政に推奨したのですが、ドナルド・キーン著「足利義政」には
「義政は単なる気晴らしに過ぎなかったものに、将軍家のお墨付きを与え、儀式化された茶道へと発展させる道を開いたのだった。」
と 茶の湯に関する記述があり、義政は茶道にも大変な影響を与えた人物とも言えるようです。
応仁の乱でこれほどまでに京都を焼け野原にした挙句、のほほんと自分の思いのままに美を追求する…良くも悪くもぶっ飛んだ人物…歴史における この人の存在というのは、いったい何なのでしょうね…
後世の私たちは、残された東山慈照寺、通称銀閣寺を眺めながら、その歴史に思いを巡らすしかありません。


きっと今頃の京都は紅葉が最高潮でしょうね…