ところで、節分を基準に1年を24等分して約15日ごとに分けた季節の事を二十四節気と言います。
例えば 立春・啓蟄・夏至・大暑・立秋・大寒…けっこう聞き覚えがあるものも多いのですが、これ等を更に細かく 5日ごとの3つに分けたものを七十二節気といいます。
こちらになると、雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)・蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)・麋角解(きわしかのつのおつ)…などと あおいみみずく あまり聞いた事がなくなってしまいます。でも 言葉の持つ響はとっても優雅…
こんなに素晴らしい季節を表す言葉があるのも嬉しいし、そんなステキな季節を一歩一歩踏んで行くことができる日本の環境は 繊細で本当に素晴らしいと思います。
さて、今の季節を二十四節気で表すと「小満 ( しょうまん )」です。
「小満」の意味を調べてみたら
「5月21日頃から6月5日頃。あらゆる生命が成長し、天地に満ち始める」
とありました。野山の新緑は一気に広がり 街を彩り、次第にその色を深くします。
「小満」を更に七十二節気で表すと5日ごとに「蚕起食桑 (かいこおきてくわをはむ) 」「紅花栄 (べにはなさく) 」「麦秋至 (むぎのときいたる) 」となります。
イメージ湧きますねぇ…
Blogを書いている 本日 5月30日は「紅花栄 (べにはなさく) 」です。
紅花は この時期に だいだい色の花をつけ始め、時が経つにつれて どんどん赤く変化するようです。あおいみみずく、「いちめんのなのはな」は見る機会があったので、「いちめんのべにばな」も見てみたいものだなぁ…
今でこそ紅花は油を連想させますが、古代エジプトでは染料に使われていたようで、日本にも飛鳥時代に染料として もたらされました。古くは和名を「くれのあい(呉藍)」といい、万葉集や源氏物語 には「末摘花 ( すえつむはな )」の名前で出てきます。
光源氏が一人の女性につけたあだ名「末摘花」…女性の「鼻が紅い」ことと、紅花の「花が紅い」ことをかけ、からかったようですが…光源氏、イケズ…(~_~;)
万葉集での末摘花の使われ方は素敵ですよ。
「外( よそ )のみに 見つつ恋ひなむ紅の 末摘花の色に出(い)でずとも」
訳は「外から見て 恋するだけにしましょう。紅花の様に色に出さずとも…」
つまり「私の恋が実らなくても、あの人を見ているだけでいいんです…」
奥ゆかしくって良いですねぇ…こういう気持ちは普遍なのでしょうか…
末摘花 ( すえつむはな )…音の響きも良いなぁ…「紅花栄」も良いですが、「末摘花栄」も素敵じゃありません?
末摘花の写真が無いので、本日の写真は 「粉粧楼」です。
手もかからず もちろん鉢植え。甘い香りが ものすごく、まさに今「コラコラ、 もうちょっと考えて花をつけなさい」ってアドバイスしたくなるくらい ベランダで たくさん たくさん 咲いてます。
2 件のコメント:
1年を72に区分するなんて、昔の人はとても細かいというか精密というか(いい意味で)。
歳とともに1年のたつのが加速的に早くなるように感じますが、昔の人のように、72区分の一つ一つをじっくりと感じながら1年を過ごしてみたら、1年をもっと長く感じることもできるような。
まああんまり長すぎると感じるのも問題かもしれませんが、物理的な時間の進み方は厳然としていますので、そこまで長く感じることもないでしょう。杞憂。
路傍の小石さん、コメントありがとうございました!
そうですよね…ふと気づくと、もう6月…
京都で過ごした今年のお正月から、いつの間にやら もう半年も経ってしまっています。でも、本当に物理的には 時間の進み方って変わってないんでしょうか…?少しも?絶対に速くなってる気がするんですが…^_^;
それはそうと、72の季節をしっかりと感じながら過ごして行くというのは、とても良いですね。せっかく こんなにも季節感溢れる日本に住んでいるんですもの…これからは季節を感じるイベントも、面倒臭がらずに 実生活で積極的に取り入れて行きたいと思っています。
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