2014年8月23日土曜日

京都 北村美術館は想像力必須

あおいみみずく、俳句を始めて約2ヶ月。図書館で季節の名句の本を借りて来て ぽそぽそ読んでいたら、同じ結社の姉弟子の方が 本当にご親切にも 沢山の俳句本を送ってくださいました。なんと有り難い事!で、只今「ほー!」「へー!」の真っ最中!
もちろん今だに超初心者ではありますが、俳句というのは少ない言葉の向こう側に大きな世界を感じ取る芸術であるのではないか…という事を、朧げながら感じて来た今日この頃です。
少ない手がかりで、多くの事を読み取る…という事に、京都でお邪魔した北村美術館の事が思い出されました。

京都には沢山の美術館があり、それぞれが本当に個性的です。
中でも、実業家で茶人であった北村謹次郎の蒐集品を保存するために1977年(昭和52年)に茶道美術館として開館された「北村美術館」は、特に個性的だと思います。
大文字を真正面に見据え、賀茂川と高野川が合流して最も川幅が広くなった鴨川の西岸にある美術館。このあたりは頼山陽が「山紫に水明らかな處」と誉め讃えた京都きっての景勝地でもあります。
下の写真は あおいみみずくの先輩が撮ったお写真です。お借りします!


収蔵品の中には 与謝蕪村「墨画淡彩鳶鴉図」や、野々村仁清「色絵鱗波文茶碗」など、茶人でなくても興味をそそられるものもあるのですが、こちらの美術館の醍醐味は、春季 秋季と二期の開館期間に合わせ「茶事での取り合わせ」という設定で、広範囲に渡る収蔵品を「その時々のテーマに基づく濃茶席と薄茶席での組み合わせで展示する」という展示方法です。
自分自身が茶事に招かれた客として、目の前の道具から いかにその趣向・ストーリー・メッセージ などを汲み取る事ができるか…茶事の席を想像して堪能できるか…という、客としての力量が試される、ある意味 難しい美術館…所蔵品は33件の重要文化財を含む約1000件と とても多いのですが、かなり絞られての展示です。ですので ある意味「想像力美術館」と言っても過言ではないと思います。
みみずくがお邪魔した時は「夕ざりの茶」という取り合わせ展示でした。
夕ざりの茶とは、社会的に多忙な方々が 一日の業務を終えてのち お茶を楽しむ為に、仕事を早々と済ませ、まだ日のあるうちに席入りし、途中から灯火も必要となる時間帯に寄り合う…という、季節に関係なく行う茶会です。


上の写真は展覧会のパンフレットなのですが、与謝蕪村の代表作「鳶鴉図」です。
本物を目の前で見ると 迫力のある筆使いに、足先からビリビリと来ます。
なんだろう…
萩原朔太郎は蕪村を「郷愁の詩人」と表現しました。確かに俳句の作風は瑞々しく浪漫的です。
一方で 絵画であるこの作品からは 荒々しい武士の様な武骨さが伝わって来ました。
この作品は
「俳諧は俗を用いて俗を離れることを尚ぶ」
と言っていた 彼の俳諧精神を「俳諧師として あるいは画家として、鳶と鴉という市井に見られる卑近な鳥を用いて俗のままで終らせず「離俗」すなわち 俗を離れることに成功した作品」と言われています。蕪村は1783年に68歳で亡くなりますが、そのわずか5年前から使った「謝寅」の落款が捺されています。
そして 蕪村の代表作は この時期に集中しているそうです。

さて、この北村美術館には「四君子苑」と呼ばれる茶苑・茶室(北村旧邸)が隣接しています。
ここは代々 奈良吉野の林業を生業としていた家に生まれ、茶道美術に造詣の深い北村謹次郎が 茶を楽しむために建造した 東山の緑を借景にした昭和数寄屋の傑作で、春と秋の一定期間に一般公開されるのですが、あおいみみずくは四君子苑の公開日に伺うことはできませんでした…残念…>_<
感性と想像力が刺激される「北村美術館」
ロビーから見える紅葉は絶品!(紅葉狩りの穴場でもあります。)
是非 訪ねてみてはいかがでしょうか*\(^o^)/*

2 件のコメント:

ゲンゴロウ さんのコメント...

理系の論文を書く場合、日本語では曖昧な部分が生じ易く、厳密性の点で英文の方が適していると言われています。英文は理路整然で
ないと成り立たないので日本文に較べて読者が余計な想像を加える余地が少ないです。西洋絵画もまた然り、18世紀位までの絵は画面に伝えたい事を表現し尽くしているので観る人が余計な事を考える余地が少ないと思います。雪舟、蕪村、等々で代表される水墨画は簡素で素朴であるだけに観る人にはそれを
補う観賞力が要求されます。反面、作者の鼓動、気迫が直に伝わり易い利点があります。
従ってその絵の価値、芸術性は観る人によって大幅に変わるでしょう。それは受け手の責任です。受け手にも応分の知識、感性、技術
を要求する日本語、絵画、俳句、そして茶席
等々、日本の文化は西洋文化には見え難い作者と受け手との一体作業を要求しているよう
に感じますしそこに日本文化の深さ、奥ゆかしさを感じます。

あおいみみずく さんのコメント...

ゲンゴロウさん、コメントありがとうございます!
「日本文化は、作者と受け手の一体作業を要求しているように感じる」本当にそう思います。そして特に日本の伝統的な芸術の「価値、芸術性は観る人によって大幅に変わる」というのも、お茶をお稽古していると特に感じます。そこから受け取るものは千差万別である事こそ日本的なのだろうと思うのですが、その前の段階、つまり 受け取る力量の無さを感じる今日この頃です。
私が俳句を始めたのも、特にお茶の席において 自分の知識や感性、注意力などの底の浅さを感じる事が多く、ものを言わなくても解る…とか、さりげなく奥深く…とか、見えないものにこそ「思いを馳せる」…といった日本文化独特の感性に共感したいが為です。西洋文化の 「いかに自分の思いをはっきり伝えるか…」というものとはまた違う難しさがあります。
ひょっとしたら若者がよく使う「空気を読む」という感覚も 知らず知らずに日本的なのかもしれませんね。
芸術ではないですが、我々は哀しくても微笑む人々の姿から 極限の哀しみを感じますが、これも外国の方々には分かりかねる事柄かもしれませんね。