年齢も違いますし、各々の縄張りも東京近郊ではありますが、それぞれです。従って会場は、主に東京駅や銀座周辺になります。今回は二人と一羽の出席でしたが、いつもはここに「大師匠」がお見えになります。普段は「いつもお腹を空かせた熊」を子分に従え「ほう!ほう!」と威張って鳴いてまわっているあおいみみずくですが、その「大師匠」の前では緊張のあまり「青ざめたみみずく」に変身して、さらに体長を1/5くらいにまで折りたたみ「ほ」としか発せませんヽ(;▽;)ノ…
いや実際は、師匠の方々からはいつも大変為になるお話をお伺いできますし、あおいみみずくが世間の風に打たれてここに逃げて来ると、いつも優しく(…ばかりではありませんが…)迎えてくださり、今後、いかに生きて行くかのヒントをくださいます。
ともかく、私にとっては無くてはならない会合です。基本的な考え方は同じようでも、それぞれが程良い緊張感と良い距離感を持っていて、美味しい物を食べながら、気取らずに話したい事を話し、時には励まし大抵励まされ、時にはツッコミほぼツッコまれ、そしてもとの場所に帰ります。これからも長く続いて行くと良いな…と思います。
6 件のコメント:
師匠がいらっしゃるというのは幸せなことです。一方、良い師匠は弟子から学ぶことも嫌がりません。そのような相互関係であるように見受けられます。素晴らしいですね。
いつまでも!!
コメントありがとうございます!京都大学の、故 森毅先生の「賢(かしこ)に教わるぐらいアホでもできるわ。アホから教わるのがほんまの賢や。」というお言葉が大好きです。私から教わる事があるかどうかは定かではありませんが…(そんなことないよ!学ぶ事、たくさんあるよ!ってきっと言ってくれるんじゃないかって、期待してるんですが…アホです*\(^o^)/*
バッハ先生はフグが転換したフーガになんじゃコリャと怒るでしょうがベートーベン先生は
フーガが転じて風雅になったのを、それもあるかと多分、お許しくださるでしょう。車のハンドルに似て人生にもアソビは必要です。自然の
中に八百万の神を見出し、自然との共生を目指す中で生まれた日本文化、我々が風雅、侘び、
趣等を自然とのアソビの中で生み出したのも必
然の結果でしょう。合理化、効率化が叫ばれ、アソビは敵だという風潮の中では、日本人は自
然から遠のくばかりです。アソビを忘れたカナリヤは宇宙の彼方に捨てましょう。
ゲンゴロウ
あおいみみずくさん
「アホ」が教えることがあるとすれば、「ぼんやりする」ことかも!ある人が言っていました。「人類は滅びるが少しでも人類の寿命をのばしたいのなら、もっとぼんやりする権利を大切にし野生の知恵を身につける以外に道はないだろう」と。私もぼんやりするのが大好きです。エーデルワイス
エーデルワイスさん
アドバイスありがとうございます!私は始終ぼんやりしいています。確かに「ぼんやり」の大家と言えます。ここに私の存在理由があるということで、威張って次の不定期会合に臨みたいとおもいます。
ゲンゴロウさん。コメントありがとうございました。昨年の大河ドラマ「平清盛」で流れていた"遊びをせんとや生まれけむ」を思い出しました。意味には諸説あるようですが、「人間は遊ぶために生まれて来た」と解せます。平安時代の歌ですよね…現代は文明が発展し、とても便利な時代となりましたが、遊興としての遊びではない、アソビまでを良しとしない時代の「人間そのもの」は、発達しているのか、はたまた退化しているのか…考えてしまいます。
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