2014年3月11日火曜日

百万遍の歌うお坊さん

京都には、ちょっと変わった名前の地名が沢山あります。
あおいみみずくの住処は東大路という通り沿いにあったのですが、その通りをずっと北上すると、「百万遍」という面白い名前の交差点に行き当たります。
この交差点の北東に「知恩寺」というお寺があるのですが、元弘元年(1331年)に疫病が大流行した時、この知恩寺の八世 善阿空円が宮中で17日間にわたって百万遍の念仏を唱えたところ 疫病が鎮まりました。その功に対し、後醍醐天皇から百萬遍という号を賜り「百萬遍知恩寺」となり、それからこの地は「百万遍」と言われるようになったそうです。
現在、この周辺には京都大学のキャンパスが広がり、街全体にアカデミックな雰囲気が漂っている一画となっています。
知恩寺は浄土宗七大本山の一つであり、観光寺院という訳ではないのですが、ここの境内では毎月15日に「手作り市」が開かれています。
1987年4月15日に5〜6軒から始まったものの、現在の出店数は、およそ450軒。「手作り」のモノを売る店だけが出店することができ、工場で大量生産された物や、他から仕入れた物は売ることができないそうで、あくまでも「自分で作ったモノを、自分で値段を決めて直接販売する」ことが原則なのだそうです。
また、毎年11月の文化の日辺りには、大規模な古本まつりが開催されますし、お寺自体もとてもフレンドリーな雰囲気。「皆さん!ようこそ」という感じが漂っています。


ここ「浄土宗大本山百萬遍知恩寺」は、浄土宗を開いた法然上人が 都の人々に「お念佛」の教えを説かれた「賀茂のかわら屋」が前身となっています。
沢山の人々に教えを広める…という考え方からなのでしょうか。あおいみみずくがお邪魔した手作り市の日には、御影堂で法要が行われており、ものすごい美声のお坊様が 市の雑踏に負けずに朗々と声明を唱えていらっしゃいました。
4人のお坊様が微妙に違う節で唱える(歌う?)声明は 合唱のよう。お経と言うより まさに音楽鑑賞…
お堂の上り口には 沢山の木魚が置かれていて、「ご自由にお叩きください」との張り紙が…ワオ!コラボできるのかな…?
かと思えば 傍らの阿弥陀堂では、ギターを抱えたお坊さんが 面白い仏教トークを交えながら沢山の歌を歌ってくださいました。
火の気もない 寒いお堂で、悴んだ手でギターを爪弾きながらの「千の風になって」は心に染みたなぁ…亡くなった方々は大空を吹き渡る風になって笑顔で世界を自由自在に飛び回っているのかなぁ…思わず涙が出ました。


本当に沢山の心を打たれる歌の中、思わず笑っちゃう「替え歌」も披露してくださったので、ご紹介させて頂き、笑って締めたいと思います。

〜西方極楽蓮景色 (津軽海峡冬景色の節で) 〜

あの世行きの夜行列車降りた時から
西方極楽 夢の中
西へ参る人の群れは 誰もかれもが
念仏だけを称えてる
私もひとり 極楽船に乗り
迎えに来た阿弥陀見つめ泣いていました
あああ〜 西方極楽 蓮景色〜♪

ごらんあれが極楽だよ西の彼方を
お釈迦様が指をさす
欲でくもる我の心 拭いてみたけど
はるかにかすみ見えるだけ
さよならあなた 私は参ります
鐘の音が胸をゆする往けとばかりに
あああ〜 西方極楽 蓮景色〜♪

泣いたり笑ったり、忙しい一日だったのですが、心に残る「百萬遍知恩寺」でのひと時でした。

2 件のコメント:

スナフキンIII世 さんのコメント...

おぼうさんのうた
とってもすてきだ

今を生きる人にとって
現実だけだと
なにかと生きづらい

つらくかなしいことがおおすぎる

でも、おぼうさん、
今を辛く生きる人に
許しと安堵を与えてくれている
かのよう

おぼうさんのうたを聴いて
人々がほほえめば
それで仏様もほほえんでいる
かのよう

今を必死で生きている人々への
おぼうさんのやさしい導き

やっぱり京都は
心の都

あおいみみずく さんのコメント...

スナフキン三世さん、コメントありがとうございました!
3年前の今日 3/11、東日本大震災が起こりました。
大勢の方々が千の風になりました。
一ヶ月後の4月、「落ち込んでいたらだめよ!」と、私を京都に誘ってくれて、一緒に春の京都を歩いた友人が、昨年5月に風になりました。
現実だけを見ると、本当に とことん悲しくなってしまいます。
知恩寺のお坊さんの歌う「千の風になって」で色々な事を思い出し 涙が出ましたが、「西方極楽蓮景色」で、思わず吹き出し 涙が乾きました。
喜納昌吉さんの「花」という曲があります。
「泣きなさい 笑なさい」という詞が、シンプルですが、人の姿そのものを表している感じがします。