さて、元日に白峯神宮にご挨拶をした 訳ですが、やっぱり招福も祈らなければなりません。
候補は様々ありましたが、干支を祀った社寺院にお参りをしよう!今年は午年!
ということで 伏見は深草にある「藤森神社(ふじのもり)」に決めました。
ここは、平安遷都以前に創建されたと伝えられる長い歴史を誇る神社です。
203年に新羅より凱旋した神功皇后が、戦勝を祝し この地に塚を造り 兵器を納めて大旗を建てた事が、こちらの起源とか。
御祀神は 素盞鳴命(すさのう)・日本武尊(やまとたける)・仁徳天皇(にんとく)・神功皇后(じんぐう)・舎人親王(とねり)・早良親王(さわら)など、全て合わせて十二柱。
日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから、学問の神としても信仰されています。
また、毎年5月5日にこちらで行われる「藤森祭」は菖蒲の節句発祥のお祭り と言われていて、各家々に飾られる武者人形には「藤森の神が宿る」とされているんです。
菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、藤森神社は「勝運を呼ぶ神」!
ということで、こちらの金太郎さんは、兜をかぶっております。
何と言うか…手強そう〜 (⌒-⌒; )
さて、藤森祭の折、奉納される神事が駈馬神事。
元々はこの神社にも祀られている早良親王が、陸奥の反乱征討に赴く様子を模したものでしたが、馬術の技を競い合うものになり、現在では手綱から手を離して後ろ向きに乗ってみたり、馬に乗ったまま文字を書いてみたり、馬上で逆立ちしてみたり…スリル満点の曲芸のようになっているそうで、京都市の無形民俗文化財に指定されているようです。(これは是非とも見てみたい!)
この「馬による神事」が行われる事から「馬の神様」として信仰され、さらにこちらには「勝ち運の神様」が祀られているということとから、いつしか「競馬の神様」と言われるようになった藤森神社。( 因みに あおいみみずく、競馬場に足を踏み入れた事は未だかつて無いのですが…(⌒-⌒; )
初詣に際し 参道の両側に飾られた「招福 馬」と「勝運 左馬」の大きな板。
右側には招福「馬」文字。
左には勝運「左馬」文字。
左馬とは、藤森神社の解説書によると、
・1 左馬は招福のシンボルで、馬の字が逆に書かれていることから、ウマの逆はマウ(舞う)であり、古来、舞はめでたい席で催されることから、縁起の良い「招福」という意味である。
・2 馬の左下の部分が財布の巾着の形をしていて、口がよく締まって、入ったお金が散逸しないことから、富のシンボルである。
・3 馬は人がひいていくものだが、その馬が逆になっているため、普通とは逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がる。
・4 馬は元来左から乗るものであるということから、左馬は乗馬をシンボルするもので、これを持つ者は競馬に強い
…という事で、左馬はこちら…
「勝負に勝つ!」ということで、こちらの狛犬は勇猛果敢!
今にも飛びかからんとする様子です。
躍動感に溢れ、かっこいい!
お参りは万全!
あとは自分の頑張り次第ですね…(^◇^;)
2 件のコメント:
金太郎さんのポーズ
かっこいいですね
その昔、とあるイギリス人も
このポーズで一世を風靡したなあ
R.ブラックモア
ギター持ってこのポーズ
でも腰にきそうな
R.ブラックモア!確かに !!彼はこういう姿でドーンとギターを構えますよね。
金太郎さんが、リッチーにしか見えなくなって来た…(⌒-⌒; )
更に、腰にくると言えば…
ここの本殿東には、神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したといわれる「御旗塚」があって、そここそが藤森神社の発祥の場所と言われております。塚に根を張っている「いちいの木」(相当古いので、切り株になってましたが…) は「いちのきさん」として親しまれ、ここに参拝すると腰痛が治るという伝承があり、近藤勇も足繁く通ったとか…(彼、酷い腰痛持ちだったらしいですよ)
リッチー、腰は大丈夫かな?もし彼が ここにお参りに来たら、藤森神社は「ロックの神様」にもなって、世界中から参拝者が押し寄せますね…(^_-)
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