ここのところ、いくらか暑さも和らぎ、朝はちょっとひんやりしてきましたね。終わりがけの芙蓉の花が、ぼうっと白く咲いています。
またまたしばらくご無沙汰しておりました あおいみみずく、8月の中盤、広島、京都、名古屋、浜松と、松尾芭蕉よろしく放浪しておりました。
1945年8月6日 広島にウラン型、8月9日は長崎に プルトニウム型という 種類の違う二つの原子爆弾が投下されました。今日の平和を当たり前のように感じている私達。この二つの日付を知らない人が かなり多いということを、報道番組で知りました。「戦争というのは過去のある時点におきたこと。これからを生きる私達には関係がないこと…」と、戦争の記憶が遠く遠くなって行くというのは、ある意味 本当に幸せなことです。ただ、このところ 急に「戦争」という言葉が頻繁に耳に入るようになり、お腹の辺りがざわざわしています。
そんな今年、2015年8月9日 。あおいみみずくは広島の平和公園と、原爆資料館におりました。
広島に行くのは初めてでした。市街地は、整然としていてとても綺麗。特に平和公園、原爆ドームのあたりは整備が行き届いた とても美しい公園となっていました。
川沿いの遊歩道には日本人のみならず、たくさんの外国からの方々がおられ、70年前、この街が、この川がどんな状態だったのか 想像すらできないほどでした。
広島における原子爆弾の爆心地、原爆ドームの周りでは たくさんの方々が熱心に資料を読んでいらっしゃいました。
欧米の方、それからインドの方が多かったような印象です。
原爆ドームは 何度かTVの映像や、写真で見たことがあります。ただ、やはり現地でそのものを感じると 声も出ない衝撃がありました。
経年劣化の影響もあるのでしょうが、崩れ果てたコンクリートの塊があちこちに…煉瓦は朽ち落ちています。当時最先端の頑丈な建物であったと推測される鉄筋の骨組みは ひしゃげています。
1945年。その日の空も青かったと聞いています。今年も雲のほとんどない青空。暑い暑い日光がギラギラ照りつけるなか、立ち尽くしてしまいました。
原爆ドームこそ 当時を伝えていますが、すっかり焼け尽くされ 何もなくなったこの地に、新しい街は作られました。この地で亡くなった数え切れない命の灰の上に…あまりにも悲しく美しく 広島の街が広がっています…
元安橋近くの川縁では、高校生が平和の歌を合唱していました。高校生の若々しく高いトーンの声が風に乗って対岸の私達の耳に届きました。
原爆資料館には本当に沢山の方々がいらっしゃってました。入場者の過半数は外国からの方々のようでした。願わくば、世界中の人達が70年前に何が起こったのかを知ってほしい。そして、人類が人類に対して行った究極の非人道的な行いを 記憶に留めてほしいと、心から思いました。
戦争ということを「そんな史実があった…」とだけ考えて育ってくる事ができた私は、本当に幸せです。
色々考える夏になりました…
8月22日に、金田賢一さんと丸尾めぐみさんのユニット 朗読三昧を聞きに行きました。(ゲストは シンガーソングライター 福山竜一さん)
演目にあった「まっ黒なおべんとう」
朝、お母さんが持たせてくれたお弁当を、食べることなく亡くなった中学生の男の子 折免滋君のお話でした。70年経って未だ食べられることもなく、真っ黒に炭化したお弁当の中身。アルマイトのお弁当箱の鈍い銀色…男の子はそのお弁当をしっかり抱えて白骨になっていたということです。
原爆資料館に展示されていた真っ黒なお弁当は、今後も食べられることなく、私達に核兵器の恐ろしさを伝え続けて行きます。
5 件のコメント:
広島は一度しか訪れたことがありませんが、やはり平和の大切さを実感する今日この頃ですね。
やっと涼しくなってきました。旅の続きのお話を楽しみにしています。
makiさん、コメントありがとうございました。
毎年 夏が来ると、「今、当たり前の様に思っている平和。維持していきたいな…」ってなんとなくは思っていましたが、今年、広島の地に立って その思いをますます強くしました。
時が過ぎ 風化して行く戦争の事実を 私達はしっかりと記憶し、二度と繰り返さないという反省と共に 次世代へ引き継いでいかなければなりませんね。
広島、京都、名古屋…暑かったー!!
このところ いきなり涼しくなって、気温差に なんだかかえって疲れておりますが、旅の記録、これからボチボチと綴って行きますね^o^
スミマセン! モモンガさんは何も書かずに送信してしまいました。気を取りなおして…
広島は去年訪れました。確かに、美しい平和祈念公園、元安川沿いのお洒落なカフェ、吉祥寺のサンロードそっくりな紙屋町の商店街、ここが爆心地であったことをつい忘れて楽しく観光などしてしまっている自分が恐ろしいなと思った記憶があります。広島を訪れる人は原爆資料館に必ず行くべし。そして追悼平和祈念館でじっくりと被爆者の方々の体験記を閲覧して欲しいとおもいます。死没者の遺影が次々と映し出されるコーナーでは戦慄を覚えずにはいられません。彼らは、私、であり、あなた、であり、昨日遊んだ友人であり、お隣のちょっとうるさいおばさんであり、向かいの家の生まれたばかりの赤ちゃん、なのです。人は忘れやすく弱いものですが
想像力を最大限使って「ならぬものはならぬのです」の気持ちは持ち続けなくては。
モモンガさん、コメントありがとうございました。 そうですか。去年 行かれたんですね。モモンガさんのお話、胸に沁みました。
原爆資料館は 情けないことに 恐怖もあり…実は行こうかどうか かなり迷いました。が、やはり行くべきですね。
人間から想像力を奪ってしまうと、他の動物たちと比べて 走るのが遅く、飛べもせず、非力な ヒトは、絶滅まっしぐら…想像力こそがヒトの生存していく力。 なのに、近頃は ヒト最大の能力である「想像する力」が活かされていない場面に数多く行き当たります。
以前のコメントにも書きましたが、ひょっとしたら ヒトはこの点において どんどん退化しているのかもしれません。
私も退化している一人として、でも…それでも…できる限りの想像力を使って「ならぬものはならぬのです」という心、持ち続けていきたいです。
コメントを投稿